山形新聞で、10日と11日、2日つづけて旧「ハイジアパーク南陽」関連が記事になった。

10日は「気炎」欄で天見玲氏が、奥山清行氏の会社に譲渡後、イザベラ・バード関連資料はどうなるかについて書かれた。天見氏は、その記事にある通り、南陽市において最も深くイザベラ・バードに関わってこられた方だった。

思えば今から30年前、ハイジアパークの目玉にイザベラバードに目をつけたのは、実に「快挙」だったと思う。イザベラバード資料蒐集のために市の職員がイギリスに派遣された。そのひとりからその時の思い出話を聞いたことがある。目を輝かせて語ってくれた。また、天見氏の文章にある久保正彰東北芸工大学長の講演は私も聴いた。「アルカディア」の由来についてのギリシア学者らしい格調高い講演だった。その時聴いただけでは理解できず、市からテープをもらって聞き直した。古代ローマの詩人・ヴェルギウスが主題だった。アルカディアという土地はむしろ荒涼とした土地なのだが、ヴェルギウスに歌われることで桃源郷と解されるようになった。ヴェルギウスという人が実に魅力的に思えた記憶がある。あるいは、花見氏もパネラーのシンポジウムに参加したこともある。全国レベルの中身の濃い集いだった。この時、金坂清則氏もおられた。第一回と銘打っていたように思われるが、そのあと続かなかったのが惜しい。20年ぐらい前、昇華転写プリントができるようになってまもなく作った、胸にイザベラバード、背に置賜盆地のTシャツはけっこう評判になった。遠くからも注文が来た。

そんなこんなでイザベラバード記念館の今後は私にとっても気になるところで、奥山氏との最初の会見時に質問した。奥山氏の答え、そのまま文字起こし《スウィーツカフェのコーナーのを名を「イザベラバードカフェ」と付けまして、今あそこに飾ってあります素晴らしいいろんな物がありますけれども、あれは財産ですので、あれをちょうどですね、ハードロックカフェみたいな、イザベラバードカフェ、壁にですね、イザベラさんが当時着ていたお洋服とか、ずーっと回っていかれた道程の年号とかありますよね、あれをそのまま使わせていただきます。名前も「イザベラバードカフェ」と決めておりまして、あの、ご指摘の通り大変な財産と思いますので、それはきちんと使ってまいります。》あらためて聴いてみると、曖昧なところがないでもない。天見氏の危惧をしっかり受け止めたい。