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「世界基準でものを考える」(奥山清行) [議会]

奥山清行 日経20210517.jpg今朝の日経若者版に奥山清行氏のインタビュー記事が載った。インタビュアーのコメントに、《日本学生支援機構によると19年度に留学した日本人は10万7346人(前年度比6.8%減)でコロナ禍が急ブレーキをかける》とあるが、奥山氏はそこを危惧する。時間があるのが若者の特権。かつて僕の故郷の山形など東北地方では仕事がない冬場には都会に出稼ぎに行った。同じ感覚で日本を出たらいい。》とりわけ若い人に読んでほしいインタビュー記事です。

この奥山感覚が南陽をどう変えるか。期待が高まります。→「南陽を世界ブランドにする」https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2021-04-01-1

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「未知の自分」探そう  工業デザイナー奥山清行氏が説く留学のススメ

「日本を捨てる覚悟で海外に出よう」「未知の自分を探し続けよう」――。コロナ禍で若者の留学熱が急速に冷え込み、内向き志向が強まっていることに工業デザイナーの奥山清行さんが危機感を募らせている。各国で厳しい渡航制限が続く中、あえて留学する意義や効用について聞いた。

――日本の若者にもっと積極的に留学すべきだと主張していますね。

経済力も市場規模も日本の世界での存在感は下がるばかり。中途半端な大きさの日本にしがみついていたら、世界から取り残されてしまう。若者の内向き志向は日本の競争力や成長力を間違いなく衰退させます。感性が新鮮な時期に海外に出た方がいい。現地に行けば自分の存在意義や課題や目標が見えるし、それがかけがえのない人生の財産になる」

――隔離期間、外出規制、オンライン授業導入など海外留学には大きな障害がありますが。

「一定期間ならば、行きっぱなしでも構わないじゃないですか。国籍を捨てるくらいの覚悟で挑戦してほしい。別に日本が消えてなくなるわけではない。時間があるのが若者の特権。かつて僕の故郷の山形など東北地方では仕事がない冬場には都会に出稼ぎに行った。同じ感覚で日本を出たらいい。世界で視野を広げた方が故郷に貢献できる。コロナ禍は現地に溶け込むチャンスです」

――日本の現状についてどう見ていますか。

「決断、教育、技術……。隠れていた問題がコロナ禍で一気に吹き出た気がします。経済成長もほぼ止まったまま。開催できるか不透明な東京五輪が象徴的ですよね」

日本人は議論し、交渉し、決断し、仕事を成し遂げるのが本当に下手。日本人同士でつるんでばかりで個人のコミュニケーション能力が低い。名刺を交換しただけで仕事をしたような顔をしている。社内の公用語も英語にした方がいい」

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――ご自身の働き方に何か変化がありますか。

「国内出張は続けていますが、残念ながら海外出張は昨夏以来、止まってしまった。ショックだったのは海外で様々な人と会い、動きながら考えることがいかに自分のエネルギーになっていたか分かったこと」

「夜中に飛行機に乗ってロスに着き、眠い目をこすりながら友人と会い、色々な角度から問題の解決策を議論することが世界基準でものを考える良い刺激になっていた。コロナ禍でそれがなくなり、モチベーションが相当落ちている。今、米国の市民権を取ろうか本気で悩んでいます」

――海外で常に心がけてきたことは何ですか。

独立心を持ち、自分の判断で決断することですね。僕にとって人生の大きな分岐点は米ゼネラル・モーターズ(GM)で40人近いデザイナーを束ねるチーフデザイナーを辞めたときでした」

「あのまま続けていたら僕はGM副社長になっていたでしょう。でも将来はデザイナーとして独立したかったので、GMを辞めて独ポルシェのシニアデザイナーに就任し、さらに伊デザイン工房ピニンファリーナのデザインディレクターに移籍した。そして日本に帰国して独立します」

――せっかく各国で築き上げた地位を途中で投げ捨てたわけですね。

「そう、未知の自分を探し続けたんです。安住できる居場所をわざわざ手放す人はあまりいません。きつい道のりでしたが、おかげで米独伊を代表するスポーツ車をデザインできたし、お金では買えない貴重な体験も積めた。それが今の自分の強みになっています」

「もう一つ、欠かせないのが言語の習得。渡米直後、僕は英語をまったく話せなかった。ところが、語学学校で3カ月ほど過ごした頃、突然、ラジオから聞こえてきたカーペンターズの『トップ・オブ・ザ・ワールド』に衝撃を受けました」

歌詞の内容がスーッと自然に頭の中に入ってきたんです。知らないうちにネーティブに近い英語脳になっていたんですね。その瞬間、世界が変わった。『人間って、生まれ変われるんだ』と驚きました。それが第二の人生の原点です」

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――もし奥山さんが10~20代の若者だったら、どんな留学をしますか。

「おそらくボランティア活動ですね。アジアかアフリカか南米か、場所は分からないけど、言葉がまったく通じない場所で利益や価格など経営のことは何も考えずに自分の『信念』を突き詰めてみたい。未知の新しい自分を探すために……」

――今後の日本に希望はあると思いますか。

「希望は『ない』と諦めた時点でなくなるし、『ある』と信じたら絶対にある。要は自分の考え方、感じ方ですべてが決まる。僕が特別だったわけではない。チャンスは誰にでも必ずある。各自が未知の自分を探し続けてほしいですね」

 おくやま・きよゆき 1959年山形市生まれ。武蔵野美大卒後、渡米。米ゼネラル・モーターズ(GM)、独ポルシェを経て、伊ピニンファリーナに移籍。「コルベット」「ポルシェ」「フェラーリ」など世界的名車をデザイン。2006年に帰国。地場産業再生や秋田、北陸新幹線、豪華列車「トランスイート四季島」のデザインも手がける。ヤンマーホールディングス取締役。大阪メトロ最高デザイン責任者(CDO)。

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