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ハイジアパーク→四季南陽「南陽を世界ブランドにする」!(1) [議会]

昨日、奥山清行氏との2度目のリモート会議があった。今後の日程として、24日の赤湯温泉旅館組合への説明会を経て、26日に南陽市と(株)KEN OKUYAMA DESIGNとの間で基本協定・支援協定締結式、そのあと報道機関への発表。詳しい内容についてはそれまで伏せておいて欲しいとのこと。
総事業費41億7千万円のハイジアパークが完成スタートしたのは平成4年(1992)の7月だった。その構想がスタートしたのは大竹俊博市長就任と時を同じくする。大竹市長就任翌年の昭和62年(1987)度予算に「クアアルカデア事業」として373万円が計上されている。あるいは新山市長時代に何らかの萌芽があったのかもしれない。当初は白竜湖周辺も候補地だったようだ。元利償還の一部が地方交付税でまかなえる「地域総合整備事業債」というのがあり、それを活用したハコモノ建設が盛んになり始めた頃のこと、大竹市長はその時流に乗ってがんばった。(→「故大竹俊博元南陽市長の葬儀に参列してきました」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2014-09-22)当初この構想は、赤湯温泉のレベルアップを企図したものであったはずだ。ところが平成になって「ハイジアパーク」という形で具体化されると、赤湯温泉旅館組合から猛烈な反対運動が起きた。「宿泊客が奪われる」というのだ。結局ハイジアパークは宿泊施設なしでスタートすることになった。採算性を考えれば、そもそもこれがハイジアパークそもそもの躓きのもとだった。まるっきりの民間だったら「強行」あるいは「断念」の二択だったはずだが、住民意思を無視できるはずもなく、またそれまでの積み上げを捨てきることができない行政にその選択はなく、中途半端な形でのスタートにならざるを得なかった。ハイジアパークが抱え込んだ悲劇性だった。それにしては30年間よくがんばった、と評価するゆえんである。いままた赤湯温泉が「南陽を世界ブランドにする」という目論見に反対するとは思えないが、奥山氏もこのことにおおいに気を遣っており、《赤湯温泉始め既存の施設に決して対抗するものではなく、むしろ今まで日光、那須、箱根といったところに流れていったお客様を山形に呼び込むという新規顧客の獲得を第一の目的としています。》と「再生事業の目的」の最初に語った。
いずれ体制が整ったところで、奥山氏が直々南陽市民に向けて語る機会を持ってくれるとのことだが、昨日に話も十分ワクワクさせてくれる内容だった。その辺を反芻してみたい・・・と書いたところで、この3月に満100歳で迎えてなお元気だった叔母が、昨夜消えるように息を引き取ったとの報が入ったので、つづきは後ほどにします。(つづく)

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