昨年秋、「『芸文なんよう』に何か書いて」と頼まれて、それではと、宮内まち歩き研修会などで当時いちばん頭にあった池黒皇大神社のことを書いたのが昨日出てきました。

池黒皇大神社に関心が向いた出発点は、なんといっても清野春樹さんの『山形歴史探訪4 平清水・宮内・赤湯・上郷・長井の秘密』です。(→https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2020-01-04それに龍口神社、熊野大社の「龍穴」性https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2020-10-18と、「飛騨の匠」による宥明長南社を絡めました。

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着目!池黒皇大神社          

はじめに
 北に丘陵(玄武)、南に沃野(朱雀)、西に街道(白虎)、東に清流吉野川(青龍)、宮内は四神相応の地である。街道とは矢ノ目街道を指す。矢ノ目街道は、京から江戸、日光、会津を経て大峠を越え、米沢からこの地に至る街道の北端であり、池黒皇大神社はその終着点に位置する。『山形県神社誌』に 《桓武天皇の延暦年中坂上田村麻呂東征の際、屯軍の地として城砦を築き、社を建立、祀り創められたので、古来坂上神明と称する。》とある。坂上田村麻呂が置賜に足を踏み入れた文書記録はないが、長井の総宮神社、久保の桜、米沢の成島八幡など、置賜に伝えは多い。池黒皇大神社が「坂之上神明」とも言われてきたのは、高台に位置する故のみではなく、実際田村麻呂駐屯の証か。この古社に注目してみたい。