昨日の「mespesadoさん講義(96)見当違いの大西つねきと稲田朋美」を承けたmespesadoさんの議論。今の政治状況についての見事な解明です。


《今までは、政治における意見の対立が、要するに不足する資源の配分の問題だったからこそ、「政治的な正義」とは、自分たちがいかに多くの利益をブン取るかという椅子取りゲームにおいて、自分たちの立場への第三者の賛同者を増やすための「大義名分」に過ぎなかった。だからこそ、このような「正義」は「主観的な正義」だったのです。/でも、今日のように、技術の超絶的な進歩で資源不足が本質的に解消してしまうと、人間の利害というのは、どの人間だって本質的に同じであり、スピリチュアル的に言えば「宇宙の法則」は唯一つなので、そこに「主観的な正しさの相違」というものは無くなってしまう。だから真の意味での「意見の対立」は無くなってしまうのです。》


政治に関わる私に対してよく言われるのが「仲間を増やさねば」ということです。そう言ってくれる人はたいてい私のことを親身になって思ってくれる人です。それなのに私はその言葉にいつも異和感を抱いてきました。今回のmespesadoさんでその異和感の由来がよく納得できました。「仲間(味方)」ができれば「仲間でない人(敵?)」ができるのです。そういう時代ではない、「宇宙の法則」にのっとれば「意見の対立」はないのです。


最近、深田萌絵さんにはまっていて、mesさんの今が旬の「中国共産党の脅威」》の言葉、よく腑に落ちるのですが、それにつけても1年前白頭山(長白山)でなぜ「うらやすのねぎごと」を唱えなかったのかと思っていたところでした。そして今、あらためて昨年書いた長白山行(補)「うらやすのねぎごと」を唱えなかった理由」に納得。さらにそこから亀さんワールドに引き込まれています。→「ツランという絆」http://grnba.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=13007953


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