《今どきの勝ち組の若者は、ゼロサムの世界を前提に失敗を恐れ、保守的になる傾向があると指摘するが、これこそまさに長引くデフレが将来世代に与えるツケの最たるものだろう。大人がやるべきは、経済は当たり前に成長する世界を用意することだ。》リフレ女子さん)24日の日経「大機小機」が「低成長脱却へ政策断行を」で同趣旨だった。星岳雄東大教授の主張ともかぶった。(→「ゾンビ企業淘汰」のチャンス https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2020-08-15-2

しかしmespesadoさんの射程は、もっとその先の《「人生の目的とは」という、もっと根源の話》に及ぶ。私も「今どきの勝ち組の若者」への物足りなさを書いていたのを思い出した。 一言でいうと「突き抜け感」の欠如だった。めざせ100万円!南陽若者コンペティション https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2018-02-26AIシンポジウム(6) AI、「現場」の現実 https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2019-04-12AIシンポジウム(7)「霊性」を以て未来を照射せよ! https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2019-05-07

BIで配るのは財(モノやサービス)ではなく、単に財のやり取りの手段に過ぎない「オカネ」に過ぎないし、それを無償で配るのは、政府という「経済主権者」が、財の流れを合理的な方向に「変える」ために実施するだけのことに過ぎない》。これは前回記事の⑤、「管理通貨制度におけるオカネは交換価値のみ」との関連で理解。目からウロコです。

MMTにしろ日本版の積極財政論にしろ、そこで論じられているのは、どうも生産者とそこで働く労働者の待遇の話ばかりがメインで、一番大切な「消費者」の利便性の話がごっそり抜け落ちている》。「オカネとは交換価値のみ」、つまり「使ってナンボ」。これまでの議論は、使ってもらう前のところでの議論。オカネがあるから豊かなのではない。豊かさの度合いは、モノやサービスをどれだけ使えるか(消費できるか)にある。あたりまえのことの指摘なのだが、これも目からウロコ。

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