財政規律論とは、だれのための財政規律なのか。mespesadoさんはそこに《「誰も住んでいないカラの箱」に過ぎない「政府」を黒字にしようと努め、自分達国民は払うだけ払ってわずかしか貰わないで我慢して赤字に甘んじている》という構図を見る。


このたび9月定例会の決算委員会で、市財政の黒字額が大きくなったことをいいことだというのはおかしいと指摘した(https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2020-09-21-1)。黒字幅はそのまま、行政サービスの低下幅なのだ。このことにも通ずるように思う。南陽市はかつての「ハコモノ行政」への反省から「健全財政」を第一義とする空気に支配されてきた。その根底にあるのは「財政破綻」という杞憂。「米沢のようになったら大変」「夕張のようになったら大変」。しきりに「赤字再建団体」という言葉が行き交った。(昭和31年から20年間在任の吉池慶太郎米沢市長は、衰退一途の米沢織中心の米沢を新しい時代に転換させるため、大量の市債をに発行して開発に努めた。ところが昭和50年、社会党系市長に変わるやすぐ財政再建団体になり、自治省監督下におかれた。しかし今や先端情報産業都市に変貌した米沢市は、すべて吉池市政の業績の上に在ると言っていい。→吉池慶太郎http://www.yonezawa-np.jp/html/museum/14yoshike.html


国においてもしかり、1000兆円もの借金(国債)をどうするのかという余計な心配。財務省自体が「日・米など先進国の自国通貨建て国債のデフォルトは考えられない。」と国際的に表明しているのに(外国格付け会社宛意見書https://www.mof.go.jp/about_mof/other/other/rating/p140430.htm#top財務省が先頭に立って「財政危機」を煽るおかしさ。(→財務省による国民洗脳研修会https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2017-08-14《「根本的勘違いの呪縛」から早く目覚めないと、最後は自滅してしまいますよ~。》


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