将棋界における藤井聡太二冠出現の意義と照らしつつ、堺のおっさんとも絡みながら、封建制における名君の存在についても検証した上で、「民主主義の政治」の可能性、そしてそれに対する希望までを展望するという壮大な議論です。

戦後叩き込まれた「民主主義相対化」のあまり、名君頼みの「封建制優位」に走るのも考えもの。《いつでも名君が存在してくれるわけではないし、それに名君にいつまでも依存することで個々の人の霊性の向上が阻害されるのもやはり大きな問題》です。堺のおっさん、本筋は国民が同じ国家観を共有するときリーダーはその本領を発揮できる》。その国民の共通意思を育てるのもリーダーなわけで、安倍総理はその資質(可能性)を十分備えていた。あと一息のリーダーだった。それをうけてmesさんは、封建制だと民衆は政治を権力者に丸投げしているために、いくら民衆が賢くなっても権力者が賢くない限りまともな政治にならないのに対して、民主制であれば、民衆が賢くなれば、権限を委任されただけの政治家を理屈上は選挙や地元での議員への訴えなどによって民意によりコントロールすることができる》とする「民主主義」の意味もふまえ、「民主政治」の意義について《①優れた為政者が的確なビジョンを示す、②これに感化された民衆が次の為政者をこの新しい視野の下で選挙で選び、監視する、という二段構えになっていることこそがカギ》と考えます。①と②のダイナミズムを通して「時代」は確実に変わってゆく。そこに「希望」があると見ます。決め手はリーダーの本心に根ざした「ビジョン」の如何です。安倍総理にはそれがある。それゆえのマキアベリズムなのです。安倍さん、まだまだこれからです。

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