昨日、昔のメンバー8人に新顔4人が加わって「置賜獅子の会」再開準備会を開きました。昔の感覚が甦りました。われわれにとっての徳田虎雄という人の存在の重さがあらためてクローズアップされた感じです。https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2019-12-11

われわれが徳田さんと出会ったのは昭和56年(1981)3月、高畠での講演会でした。医療法人徳洲会創立8年目、もう9つの病院がありました。置賜に病院をつくってほしくて徳田さんの追っかけが始まりました。その後、庄内(余目)、新庄、山形にはできたのに置賜にはできませんでした。代わりにできたのが公立置賜総合病院です。われわれの動きを察知した県が、建設費地元負担5割予定が2割になったことで一挙に進んだのでした。「経営が行き詰まって徳洲会に頼ることになるかもしれない。その時は引き受ける。できるだけいい病院をつくってもらえ。」と徳田さんは言ってくれました。https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2023-11-17

全国に「獅子の会」を組織しながらの講演行脚でした。5月には宮内で講演してもらいました。会場の修道館は立ち見が出たほどでした。その時「南陽獅子の会」ができました。当時の南陽市立病院の院長もメンバーになりました。その後平成3年(1991)米沢と合流して「置賜獅子の会」になりました。しばらく眠っていたのですが、最近目を覚ましました。以心伝心、徳田さんの意思が働いているような気がしてなりません。ALSという難病で外界との連絡が全く絶たれながら、なお命の火を燃やし続ける徳田さんの不撓の意志が、われわれの気持ちの支えです。https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2024-02-06

40数年間徳洲会を見続けてきました。徳洲会の出現で、全国に「年中無休・24時間オープン」の医療体制が敷かれるようになりました。「患者から贈り物は一切受けとらない」のが常識になりました。日本の医療界を大きく変えながら、断トツのトップにのし上がっています。https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2022-02-12-2

 徳田さんが元気だったら、今何をやるだろうかを思います。戦争に敗けて80年、ズタズタになってしまった日本をどう立て直すか、そうわれわれに問いかけられているような気がしてなりません。置賜に病院はできなかったけれども、「獅子の会」は今も息づいています。置賜から日本を変え、世界を変える。本気でそう意気込んでいます。


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