今朝の副島重掲板「【3095】安倍派(統一教会)つぶし、解体の最新状況 と インドネシアがもの凄く重要だ論」。インドネシアを主題にしながら現在の日本の政治状況に絡めて、《今の安倍派潰(つぶ)し解体作業の実行は、日本国民にとって大変、喜ばしいことである。森喜朗(もりよしろう)はじめ安倍派の幹部たち全員が逮捕され、起訴されて刑事裁判に掛けられればいいのだが。そこまでは行かないだろう。》として、平成12年の「加藤の乱」に言及。《私、副島隆彦は、前回(12月14日)に、「これは、岸田文雄の、人生最大の悲願である、大宏池会(だいこうちかい)の復活、再統合である。岸田は、23年前に、森喜朗や野中広務(のなかひろむ)によって、宏池会の加藤紘一(かとうこういち)が当然に、次の首相になる予定で、そのための正当な手続きを踏んで来たのに、それが、叩き壊れた、あの2000年〇月〇日の「加藤の乱」の屈辱、恥辱の日のことを決して忘れていない。/ 加藤紘一が、無念の怒りに駆られて、森喜朗首相への、野党の不信任決議に同調して賛成投票する、という行動に出ようとしたときに、横から谷垣禎一(たにがきさだかず)が縋りついて、「あなたは親分なのだから」と、必死で、泣きながら止めた。その下の横に岸田も泣きながらいたのだ。私たちは、あの日本の政治ドラマの重要な、「刃傷(にんじょう)松の廊下(ろうか)」の忠臣蔵並みのシーンを、今でも覚えてる。》とあり、岸田首相が谷垣禎一とともに居て討ち死も覚悟したひとりであったことを知った。
Kindle版が無料で読める。「闘う宏池会」と題する最終章に「加藤の乱」が詳述されている。総理に最も近かったはずの山形3区選出加藤紘一がなぜダメだったのか、以下の記述でなんとなくわかったような気がした。と同時に、「安倍派潰しの真相」https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2023-12-29、それはそれとして、岸田首相と宏池会についてのひとつの視点を得た。
安倍派vs.岸田派として、岸田著の最後は《政治家として勝負をかけたときは、絶対に負け戦をしてはダメだ──その思いが、いまも私の胸に刻まれています。》の言葉で締められている。今勝負をかけているのではないか。
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「私のもとにこんなにメールが来ているよ」
騒動の渦中で、加藤さんはそう話していました。
自身の背後に、世論が味方に付いている、と確信していたのです。
「私の携帯には菅さんの番号が入っています」
加藤さんは政党人として禁じ手とも言える、野党との連携を匂わす発言で森政権を揺さぶりました。
野党第一党の民主党の菅直人さん、鳩山由紀夫さんとの密接な関係をほのめかす加藤さんを特集した番組はいずれも高視聴率を記録し、加藤さんを取り上げた雑誌が売れるなど、国民的な人気は確かにありました。
しかし、いまだから言えるのかもしれませんが、当時はインターネットの黎明期で、一般に普及しているとは言い難い状況でした。 ユーザーネームを変えて、文章をコピー&ペーストすれば一人で何通もの応援メールが書けることも当時はあまり仮に国民の信任があったとしても不信任案は国会議員の多数決で決まります。 国会議員の投票にまで影響を及ぼすほどの世論なのか 加藤さんは「世論」を精査せずに、ご自身に都合の良い「世論」だけを聞いているのではないかー当時、若手ITに明るい議員がそのような懸念を示していましたが、勢いを増す最中に冷水を浴びせるようで、直接、会長に具申することができませんでした。