《陸奥宗光(1844.8.20-1897)の前半生を描く日経連載小説「陥穽」(辻原登)がおもしろい。》と書いたのは62回の時だった。https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2023-05-03-1 これが新聞小説の醍醐味かと思いつつずっと朝の楽しみになっており、今日は177回。

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その夜、余は大量の吐血をした。しかし、もう驚かぬし、慌てぬ。光を入れるべき窓は小さく高い。外は雪だ。余は自らの精神の内部から熱を呼び起こし、光を発しなければならぬ。

中島信行が下野(げや)して、自由民権運動に挺身すると聞き、余の心は久し振りに騒めき、高揚した。

余が旧友に土佐人坂本龍馬という者あり。彼(か)は元来剣客にして文学を悟らず。然れどもその質聡明にして、その識見もまた秀出(しゅうしゅつ)せり。徳川の末世にあたり、時弊(じへい)を憂慮し、つとに郷国を去り、天下に奔走し、後(のち)に薩長の間に周旋し、すこぶる時望を獲(え)たり。不幸にして、慶応三年の冬、京都に於て暗殺に遇(あ)いて横死せり。


《人苟(いやしく)も一個の志望を抱けば、常に之を進捗するの手段を図り、苟も退屈の弱気を発す可からず、仮令(たと)い未だ其目的を成就するに至らざるも、必ず其之(それこれ)に到達すべき旅中に死すべきなり、故に死生は到底之を度外に置かざる可からず。》

坂本のこの言を思い起こし、翫味(がんみ)すれば誠志胸に迫り、至極の名言也、と。

改めて今、余を「政府転覆計画」に駆り立てたものは一体何だったのか、その理念と実践を問い直してみようと思う。為にも、もっと歴史を学ばねばならぬ。ベンサムを更に精読し、翻訳を急がねばならぬ。

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龍馬の言葉に雲井龍雄を思った。龍馬の大志、伊達小次郎(陸奥宗光)の大志、では龍雄の大志とは? ふと、3人とも「万国公法」を読んでいたことを思った。龍馬とっての万国公法について、日経過去記事があった。

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