平成26(2014)年、『神やぶれたまはず』を読み終えてこう書いていた。https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2014-01-10#more


 


*   *   *   *   *


 


昭和208月のある一瞬――ほんの一瞬――日本国民全員の命と天皇陛下の命とは、あひ並んでホロコースト(供犠)のたきぎの上に横たはっていたのである。》(p.282


 


国民は、その一瞬が過ぎるやたきぎの上からたちまち降り立ち明日から生きてゆくための行動を開始した。薪の上に載った一瞬などその時だけの一瞬に過ぎない。そんな記憶は時間と共にどんどん遠ざかってゆくだけだ。そうしてあっという間に68年が過ぎてしまった。


 


しかし、国民にとっては「ほんの一瞬」であった 「この一瞬」は、昭和天皇にとってはその後の生を通して背負い続けなければならなかった「永遠の一瞬」だった。


 


いまあらためてあの一瞬からいままでの時の流れをふりかえるとき、あの一瞬が夢だったのか、はたまたあの一瞬を忘れて過ぎ去った68年の時の流れが夢だったのか。長谷川氏の「神やぶれたまはず」を読んだいま、私には過ぎ去った68年の方が夢だったのかと思えてしまう。


 


昭和天皇はその間、われわれにとってたちまち過ぎたあの一瞬を夢ではない現実として、たきぎの上から降り立つことのないまま昭和を生きて、平成の御代へとバトンを引き継がれていったのではなかったか。薪の上に在りつづけた昭和天皇のお姿こそが夢ではない現実ではなかったのか。そのことを抉り出してみせてくれたのが、他ならぬ「神やぶれたまはず」であった。民よ、再び薪の上に戻れ。そこで「神人対晤」のかけがえのなさを知れ。確たる現実はそこからしか始まりようがない。さもなくば日本人の精神はとめどないメルトダウンに抗すべくもなし。あの一瞬に目を瞑っての日本再生は、かつて辿った道を遡る道に過ぎない。



*   *   *   *   *

『神やぶれたまはず』を三度目読み終えての今の思いは、大すじ同じだ。ただ、「かつて辿った道を遡る道に過ぎない。」という言葉については、その意味するところは輻輳している。

あの敗北は、「最終戦争」を戦い得ての敗北だった。そうであってはじめての「その一瞬」であった。仮に今のまま西側陣営の一員として戦争に突っ込んでいくとして、その戦争は「使い走り戦争」以外の何ものでもない。「通常の歴史が人間の意識に実現された結果に重点を置くとすれば、実現されなかつた内面を、実現された結果とおなじ比重において描くといふ方法」が「精神史」の方法》と桶谷秀昭氏が言ったというが、語るに値する「内面」の持ち合わせなど皆無であり、それゆえ「精神史」など思うもおこがましい。跋扈するのは、利害打算のあさましさだけだ。