mespesadoさんが保江邦夫氏に着目されたのは、私にはほんとうにありがたいグッドタイミングです。荒唐無稽ともいえる保江邦夫氏の話をどこまで真に受けていいのか、その鍵が保江氏の理論物理学者としてのその理論にあるように思え、以前求めて読み切れず積読していた『甦る素粒子理論 神の物理学』をあらためて開き出したところでした。最近手に取った『世界は「関係」でできている』でおぼろげながら量子力学へのとっかかりができたような気がして、そこを手掛かりに保江著解読が可能かもしれないと思い始めたのでした。

シンクロニシティというのはあるもので、数日前思いがけないルートで、保江氏が神道天行居の本部大前にて正式参拝の上、神職と共に石城山に登拝、特別な場所葦原神社大前で大祓詞奏上中、不思議体験されたことを知りました。→https://www.youtube.com/watch?v=kZwGvtvBJjg&t=2s(40:40〜)別の動画で保江氏の祖父が田布施出身ということで、田布施で講演もされたと語っておられたのを最近聞いていたのですがhttps://www.youtube.com/watch?v=YOg3igU0W8M 7:00〜)、天行居へ行かれたのはほんとうに思いがけないことでした。

ちなみに、神道天行居創始者友清歓真師は、量子力学(量子理論)についてこう語っています。《二十世紀に入ってからの物理学は十九世紀までの素朴な物質的模型化の機械的自然観を棄て、高度の数学的抽象化の観念的自然観に座標を替えました。けれども人間というものは妙なもので、十八世紀以来深く私どものあたまに浸み込んだ観念は、意識に否定されつつ厳然として先入主観念となって存在し、科学過信、唯物無神の思想が社会通念で、それに平仄の合わぬことは迷信として嘲られることが当然と大悟して今日に及んで居ります。/相対性理論は一九一六年に一と先ず棟を上げてから其後あまり発展しないようでありますが、今世紀初頭にブランクによって提唱された量子理論は、ボーアによって水素原子の発光の機構説明で成功して以来すばらしい発展を遂げつつあるように承わって居ります。自然界の構造は十九世紀までは寸分のゆとりもないように製作された精密な機械に似たものと考えられていましたが、今世紀に入ってから少し平仄に合わぬところの分量がブランクによって作用素量と呼ばれて居ます。量子理論の開山ボーアを始め、ハイゼンベルグ、シュレージンガーなど偉大な学者によって、詳しいことは私どもには判りませんが、手堅い飛躍をつづけているように思われます。ジーンスは「自然の設計者は一大数学家である」と云い、すこしつむじをまげたエディントンは「数学はそんなものでなく、せいぜい物理学の使用人としての役目に服従して居るものだ」といっていますが、とにかくガリレオが「自然は数学記号で書かれた書物」といったことは何時までも一面から支えられて行く言葉でしょう。その数学記号なるものが神わざの一つの現われなんですから。》(「秋深き古神山」昭和23年10月 『友清歓眞全集』第5巻185p)今から70年以上前、量子力学(量子理論)による神的世界までの解明を予感しておられたように思えます。そして、『神の物理学』の著をもつ保江氏が神道天行居に拝され、葦原神社にて白蛇出現の奇瑞に遭遇されたことの意味を思わされています。

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