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「天工は人それ之れに代る」 [神道天行居]

「古道」R4.2.jpgいつもタイムリーなのですが、今回とりわけ書き留めておきたかった[古道」2月号の先師巻頭言です。昨日の記事でさらにそう思ったのでアップしておきます。

中村篤史医師が「見える人」と会って話されたことを書いておられます。→「コロナワクチンのスピリチュアル的な意味https://note.com/nakamuraclinic/n/nc85fbabdc47c」コロナ騒ぎがもたらそうとしている今の心配な状況(人口削減に至る問題まで)について、中村医師のなぜ、神様はこういう現状を黙って見ているのでしょう?」の問いに対して「神様のやっていることなので、なるようにしかならない。別にあなたの活動に対して、どうのこうのと言わないよ。ムダだからやめておけ、なんて言わない。あなたの情報発信によって救われた命もあるだろう。それはすばらしいことだ。しかし私としては、人に打てとも打つなとも、いいとも悪いとも言わない。それは結局、長い目で見れば、同じことだから。」の答え。根底に「あまり、そう、死ぬということを大ごとに考えられても困る。俺もあと数年もすれば死ぬだろうが、別に特にどうということはない。人間は死に、そしてまた生まれる。ワクチンで今生を終えて気の毒だと思わなくもないが、必ずまた、ここに返ってくる。そういうのの繰り返しなんだ。」という死生観あっての答えなのですが、たしかにそれはそれとして、「天工は人それ之れに代る」の言葉はありがたく思えます。

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天工は人それ之れに代る

友清歓真

◎書経の皐陶漠(カウエウボ)に天工人其代之ーー天工は人それ之れに代るーーといふ有名な一句がありますね。これは支那といふよりも東洋の上代思想の代表的なものの一つです。

◎元来天のしごとといふものは人間がするもので、それが本筋で、それがやれぬとき、やむを得ずして天威が発動するといふやうなことも稀れにはありませうが、まあ大概の場合に天意は人間によって行はれるものですな。工といふのは功と同じことで、事とか仕事とかいふ意味で、天工とは天の仕事ですね。それを大なり小なり人間がやるべきもので、農家が農作物の世話をするのも、絵かきさんが絵をかかれるのも、奥様が座敷のお掃除をせられるのも、みんな天工に代って居られるのですな。

◎それがわかると、すべてのことが面白いし、又た無責任なこともやれないわけです。神法道術を以て抜苦与楽といった方面で活動せられる人々も、もとより天工に代ってやって居られるので、俺は天工の代行者だといふハッキリした自覚があると絶大なものが背景になって居るので強いですな。どんな不思議な力でも出せるといふ意気になりますね。天工は人其れ之れに代るといふことをよくよく腹に入れておかれる必要がありますね。

◎宇宙の生命や理想といふものを確認して、天に代って仕事をしなければならぬといふのですから面白いですね。それでフトマニとか卜筮とかいふものも意義をなす場合がありますが、ともかく神界の実相を知るといふことが根本のやうですね。神界の実相を知ることが根本のやうですね。神界の実相を知るといふことはむつかしいことでありませうが、いくらかそれを知り、それに結縁して仕事をして行くといふことになると、天工に代るといふことが目前に特に具体化するやうに思へて、いっそう勇気も出るわけですな。

◎天工といへば天のしごとでありますから、よほど神妙不思議の働きであらうと思ふ人もありませうが、農人が野菜物を作ったり郵便局員が釣銭の計算をせられたりすることも神妙不思議の働きです。しかし普通世間の人はそれを不思議とせず、普通人に一寸出来ないことだけを不思議としますが実はどちらも神妙不思議なものです。

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