フランスの未来学者ジャック・アタリが、40年前のインタビューでこう言ったそうです。《 人口削減はまず高齢者から始めます。なぜなら、60~65歳を超えると、人々は生産性がない状態で長生きし、それは社会に多大なコストがかかることになるからです。/次に弱者、次に役に立たない人たち。彼らは数は増えるが、社会の役に立ちません。そして何よりも最終的には、愚か者が対象です。/これらのグループを対象とした安楽死をおこないます。安楽死というものは、すべての場合において、私たちの将来の社会において不可欠な選択肢でなければなりません。》(ジャック・アタリ『未来の人生』)これを読んで思わず身震いしました。

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↑こう書いたのが1月半前でした。https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2021-08-13 その後もワクチン接種は着実に進んで押しとどめようもありません。満を持して取り組んだはずの請願もほぼ完敗です。「他人事ではない」と周りが心配してくれる大分臼杵市議会の鼻出しマスク騒動https://www.nishinippon.co.jp/item/n/808767/を見るにつけても、意に反して世の中は進んでいるように思えます。

そんな中、コロナ騒ぎが始まって間もない、まだまだ正常だった昨年4月に書かれた文章にわが意を得ました。《親子の信頼関係(信用貸し経済システム)を雛形として現下の金融システムを見直し、世界にはびこる強欲金融資本主義というイズムの不条理を撲滅させる契機を人類が見出すために、この新型コロナウィルスが大暴れしている》《そこには「金利」もなく、「返済期限」もなく、当然「担保」といった概念は存在しません。必要なのは親(国)子(国民)のゆるぎない信頼関係と公益精神だけです。》《私利私欲を軸にした利潤追求(株主優先の資本主義)の時代は過ぎ去り、公益のためにお金が回る、あるいは回す経済(公益資本主義)が展開される時代に入ることは確実です。/この「コロナの禍」が時代の結節点になることを予感しています。》

ちょうどその頃の堺のおっさんの言葉、武漢ウイルスがもたらす新たな世界に焦点を当てない論は無意味なおしゃべりに収れんする。楽観も悲観も排して、すでに始まりつつある新しい世界の萌芽にこそ知恵者は思いを巡らす。長期化する武漢ウイルスによる日常の変化に目を凝らせばいくつかの光がすでに見える。》https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2020-04-20



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