それにしても、熊野大社で楽人を務める二人が駆けつけてくれたのには驚いた。御神事は、法螺貝と共に始まり、生の笙の音が響き、法螺貝に終わった。記念品作成を思い立ったのが三日前のことで、ぎりぎり間に合ったことともあわせ、宥明上人のおはたらきを思わされたことだった。
龍口神社を熊野大社末社厳島神社に合祀するために御苦労された熊野大社北野宮司による祝詞も気持の入ったものだった。(雑音に聞こえるのは蝉の声)
限界集落化が進む中、地域共同体の中心にあった神社はどうなるのか。守る人の高齢化が進む中で、近隣の神社に合祀され、その地に新たに代わる神社を迎えるというのは稀有の例だろう。それにしても、合祀の手続きに関わったが、その煩瑣さは、私などには言語を絶していた。本来は行政書士の仕事だったのだろう。こういう正式な手続きで合祀に至る例は滅多にないらしい。今後神社界も、「合祀」の意義を踏まえて手続きの簡素化を図らねば、神様の行き処がないままにどんどん神社が消えてゆく。そもそも、「神さまとは」についてから考えねばならない問題なのだと思う。→「龍口神社御神体拝観(1)」
https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2020-05-15 ------------------------------------
【追記 R3.11.6】
昨日、高山の六次元会一行が完成後初めての参拝においでになりました。賽銭入れに入ったお金から、多くの方が参拝されていることがわかりました。
山形新聞のシリーズ「やまがた再発見」に宥明上人が採り上げられるそうです。以前長南年恵刀自も登場したシリーズです。