朝の10分読書、西森マリー著世界人類の99.99%を支配する カバールの正体』を読み終えた。今朝の山新も日経もオリンピック一色。昨夜、まったく見る気のしなかった開会式と今日の紙面の落差、「感動」の押し売り。その世界とは絶縁して、今日から3日間、粛々と祭りの世界に没入したい。今年も昨年同様御神事のみ。

この著を読みつつ、きのこ組さんが7月20日の飯山忌に際して書かれた「俯瞰力」を思った。http://kinokokumi.blog13.fc2.com/blog-category-33.html

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鷲が鷲のことを一人称で「鷲」と書くことは、2012年01月19日から始めた。
これは、「鷲」という鳥のように「鳥瞰図」で世界を見て「俯瞰力」を鍛える意識をもつためである。

人間の目(眼)や脳は、広い世界の全体を上から見て(俯瞰=ふかん)、その全体像を描くことが出来ない。


しかも、人間の目(眼)は、構造的に狭い一点を見つめるように出来ている。さらに、網膜にうつる映像は二次元的で、その平面的な映像を脳が三次元の立体的なイメージに合成している。 (とても参考になる記事)


したがって、人間が普段、普通に見ている世界は、せまい世界の一部分の映像を「合成写真」で見ているだけなのだ。


世界の全体像は、意識して、深く考えながら、「自分は世界のことが分かってないんだ!」と自省しながら、時間をかけて見ていかないと、世界は、俯瞰図も鳥瞰図も見えてこないのである。


だっから…、色んな評論家やブログの文章を読む時も、
書き手が、世界像や世界観、モノの見方や考え方をキチン!とチェックしているかどうか? これを確認しながら読まないと、読み手はダマされる。


ま、そういうことです。 (飯山一郎)

飯山一郎のブログ アーカイブより
https://archive.is/ZFMxI

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