つぎ、大きな二番目、「内発的地域振興のために」ということで質問します。
 昭和55年2月、当時の宮内商工会、赤湯商工会、和郷商工会の青年部が中心になり、新山市長はじめ市の広聴企画課の協力を得て、「いかにして”南陽衆”たりうるか?!」をテーマに「明日の南陽への模索”講演と討論の集い”」と題するシンポジウムを開催したことがありました。当時「地域主義」の提唱者である清成忠男法政大教授への講演依頼に対して、「仲間5人で行くからシンポジウムをやろう」との逆提案に応えたものでした。来ていただいたメンバーは、大分県湯布院町のまちおこしや、大分県の平松知事による「一村一品運動」に深く関わったメンバーでした。その時地域づくりにとっていちばん大事な事として学んだのが「内発的地域振興」ということでした。私たちが地元の歴史に目を向けることになったのも、その成果といえそうです。
 このたび、「ハイジアパーク南陽」に替わる「四季南陽」の構想について、KEN OKUTAMA DESIGN奥山清行氏のお話を聴いたことで、41年前のシンポジウムで突きつけられた課題である「内発的地域振興」について、あらためて考えさせられることになりました。