昨日の「めざせ! 湯布院、バーデンバーデン」で、湯布院ブレークアウトメンバーのひとりである猪爪範子さんを懐かしく思い起こし、猪爪さんがご自分の来し方を腹蔵なく語ったいい文章を見つけて読んだ。最後のまとめの部分を転載させていただく。観光論を超えて人生論になっている。猪爪さんが目の前に浮かんで、やっぱりそういう風に生きてきたんだ、とよく納得できる。《特別のおもてなしではなく、「自分たちの生活そのものを共有していただく」。このスタイルが好きです。それで、成功の果実も手にしました。いうところの、生活観光地です。》今では当り前のこの感覚、湯布院から広がった。「いかにして”南陽衆”たりうるか?!」では《外からのお客さんを呼んで来るということだけを目的にしているんではなく。やはりお客さんを呼んでくるには、自分たちが住んでいい町でないといけないんじゃあないか》と語っておられる。そしてそのあと、まさに今に通ずる大事な指摘があることに気づいた。もうひとつ湯布院にいて特に思いましたことは、今日も、行政が、住民が、という議論がありましたけれども、その「公共の部門」と言える部分が確かにあった、という感じを持っています。しかし、そこをどういうふうにふくらませてよい形で機能させるかというのは、まだ湯布院でもなんとなく漠然としてよくわからない。よくわからないながらも、行政と住民がお互いに手をさしのべてゆく、というのが湯布院の実情なんです。》頭でなく体で感じ取る人だった。40年前猪爪さんが漠然と湯布院の動きの中で体感していた感覚、最近ようやく私が思うようになった「官民融合」の感覚に通じます。→「「官民融合」(予算委員会)(3)市長に期待!」https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2021-03-16

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