奥山さん会見について書いた昨日の記事を読んでくれた、宮内出身で首都圏在住、親しい先輩AKさんとのやり取りがありました。

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AKさん
>さすが奥山さんの発想で、世界を見渡し、南陽市をその中でアピールする姿勢に感動
>した。これからどうなるか、興味&関心が高まりますね。
めい
>奥山さんたちと一緒に取り組めるような形ができて、そこから枝葉が分かれてどんど
>ん広がって行く、そんなことをイメージしています。気持ちを柔軟にすれば、吸収でき
>るものはものすごく大きいと思います。若い人に期待したい。コロナ禍は新しいもの
>を生み出すチャンスです!
AKさん
>同感

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30年前、あの場所にハイジアパークが構想された頃、ドイツのバーデンバーデンがひとつのモデルとして話題になりました。南陽から視察団が行ったようにも思います。高級温泉保養地の代名詞のように語られていました。バーデンバーデンと並び称せられるのが湯布院でした。「いかにして”南陽衆”たりうるか⁈」シンポジウムに清成忠男先生とともに駆けつけてくれた地域総合研究所メンバーの猪爪範子さんは、湯布院観光協会の事務局長として、中谷健太郎さんや溝口董平さんと行動を共にしてきた人でした。(いま猪爪さんを紹介した記事を見つけたので下に転載しておきます。)大分平松知事提唱の「一村一品運動」は湯布院が発祥、今から40年前、湯布院は全国「まちおこし」のモデルの町でした。

ハイジアパークが当初の構想通り進まなかったのは、赤湯温泉の旅館から宿泊施設について反対の声が上がったことでした。海のものとも山のものともつかぬ新興の施設に客を奪われてはたまらない、当時の旅館側の気持ちはよくわかります。そこを説得しきれなかったのが当時の行政でした。保守対革新のせめぎ合いの中にあった大竹市政でしたから。今回の会見、このことについての奥山氏の気遣いが言葉の端々に感じることができました。ここのところをしっかりクリアして、挙げて奥山氏のプロジェクトを応援共有できるかどうかが問われている、そういう思いがあってのAKさんとのやりとりでした。大きな気持ちになることです。めざせ! 湯布院、バーデンバーデン。

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