マドモアゼル愛さんの「各国政府も支出金による出費により、財政の余裕はまったくありません。」の言葉に「マドモワゼルよ、おまえもか」と厳しく反応したmespesadoさんです。私は、マドモアゼル愛さんの「助け合いの精神を発揮してセーフティネットの構築を」の主張にリーマンショックの時の恐慌感を思い出しました。当時幼稚園の卒園文集こんな文章を書いていました。《昨年来「恐慌」という言葉が出てくるほどの大変な時代になってきました。・・・金の切れ目が縁の切れ目とよく言われてきました。しかしこれからの時代は逆に、経済的に厳しくなればなるほど絆(きずな)が強まるような、そういう時代にならざるを得ないような気がします。なぜなら、助けを求めざるを得ない人がこれからどんどん増えてくるはずですし、また困っている人には助けてあげたいというのが人間として自然だからです。そして、決して助けっぱなしでもないし、助けられっぱなしでもありません。長い目で、広い視野で見ればきっとお互い様です。だから、助けてあげたからといって恩着せがましくふるまう事もないし、助けてもらったからといって卑屈になることもありません。みんな自然にそうしてしまう、いずれそういう温かい世の中になる、そのための禊(みそ)ぎ、試行錯誤の時を迎えているように思えます。》https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2009-03-25  幼稚園の場がセーフティネットの役割を担わねばならなくなるかもしれないと覚悟するぐらいの切羽詰まった思いがあってのことでした。しかしリーマンショックはいつのまにか世界的な金融緩和(QE)で乗り切っていた。あの文章を書いた時から12年、あらためて読んでみて、今の時代にかえって合っているのかもしれないと思ったところです。さらに言えば、mespesadoさんの心配する「ズルイ」感覚もいずれ消滅してゆきそうな気もします。

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