suyapさんは《そもそも土台が違うのです。だから議論がかみ合わないし消耗するだけ。》(327)と言うけれども、私にはそうとは全く思えない、「歴史的」と言ってもいい、私にとってはものすごい議論の展開、ゾクゾクしながら読みました。

mespesadoさんはmespesadoさんで、《日本が自立しないことと反緊縮を推進することの間に理屈の上では直接の関係はない》(319)互いの立場を明確にしつつ、自分の立場を鮮明にしてゆきます。《「高度成長がなぜ終焉したか」を分析したときに感じたのです。つまり、私の分析によれば、高度成長という「善き時代」が終焉したという「悪い結果」が生じた真の原因は「生活必需家電の普及率が100%に達した」》(322)という「善い結果」が「悪い結果」を招いたという経験があるので、トランプ勝利(善い結果)ということで、日本が「反緊縮」に方向転換して日本の将来が明るくなる》(善い結果)かどうかはわからない。トランプが負けることで日本が「反緊縮」になる可能性もある。→「災い転じて福となす」→「希望を失わなくて済む」。ここで、suyapさんとmespesadoさんの「何が大事か」(価値感)のちがい、自分にとって何が「希望」か、という問題が浮かび上がります。大丈夫勝ったつもりで朝目覚めたら逆転されていた11月6日の朝、トランプさんの存在が自分にとっては「希望」の象徴だったと思う。》と書いていました。だからこれから起こるであろう「トランプ勝利」はまさに私にとって「希望」の実現です。では「反緊縮」がもたらす「希望」は何か。これも私の中でしっかりイメージできるものがあります。要するに「おしん根性」「貧乏性」からの解放。やりたいことがそのまま遠慮なくやれる世の中。そこで「トランプ勝利」と「おしん根性からの解放」とでどちらが上位か、ということになります。これはこれで落ち着いてしっかり腑分けしてみたい。(先の用事が待ってるので先を急ぎます)

安倍さんにはあった歴史的流れの展望》安倍さんのトランプなみにすごいところ》。suyapさんに見える、共感しあえる二人の関係です。きっとsuyapさんの「今」が反映しています。今、私は充足しています。ようやく息をつける世界が見えるところにこぎつけた。たとえ今生ですべてはかなわずとも、それを希求し、同じ方向性を目指す仲間と歩む時間は、どんな辛苦があっても充足しています。(325)ここのところすごいです。suyapさんの今の暮らしが麗しく思われます。たしかに、「同じ方向性を目指す仲間と歩む時間」があるというのが最高です。

mespesadoさんのsuyapさんに対する《何でも根源がDSという他者のせいであるとする考え方の方が違和感》もわかります。所詮DSに集っている(都市部の自称「成功者」)のはカネを自分の成功の指標にするスイッチが入っただけの一般人》というのも。仮にバイデンになったら行き着くところまで行くので、多くの人が今のカネによる支配の不合理に覚醒する可能性は強まる》(326)「万事塞翁が馬」、mespesadoさんはそう思うことで心のバランスを保っています。わたしにもそういうところがあるのでよくわかる。(「なにもかもかむながら」「どうすることもいらぬ」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2015-05-13

suyapさんの《我が心から湧き出る良い未来を希求する情熱で、祈りとともに今できることを実践することが、それ自体が、より良い未来につながる》(327)この言葉は深い。それをsuyapさんのトランプ応援は「言霊」にも通じる》(328)と、suyapさんをまるごと受けとめたとみえるmespesadoさんの反応。そして具体的に何がどうなれば日本の閉塞的な緊縮政策が打破されるのか、そのシナリオが欲しい。》suyapさんの言うように仮に今後安倍さんが返り咲いたとして何か展望がひらける》とは思えない。何らかの新たな作戦がなければ進展が無いのではないか。そんな作戦が何かあるのか。/ そこが一番知りたい。》切実です。それぞれ自分自分の持ち場でがんばるしかない。わたしもがんばらねば、と思わされたところです。

以上、先を急いだメモです。これをきっかけに私は私で展開してみたいのですが、とりあえずアップしておきます。とにかく、すごい議論に立ち会わせていただいています。

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