『サムライたちの殉教―米沢1629.1.12』(ドン・ボスコ社 2009)という立派な絵本がある。1929年にイエズス会のジョアン・バブチスタ・ポルロ神父が会津からローマに送った手紙をもとに描かれた米沢キリシタン殉教の記録です。《米沢の殉教者たちは、捕らわれず、牢にも入れられず、拷問を受けることもなく、晴れ着に身を包んだ彼らは槍の穂先に聖母マリアの絵を掲げ、ローソクを持って列をつくり、整然と刑場に向かった。途中、人々も門に立って彼らを見送り、激励の言葉をかけた。ーーと、これだけでも十分に驚くべきことなのだが、このキリストの部隊の行列に二人のキリシタンが付き添い刑場に着くと、そのうちの一人が聖なるメダイを取り出して各人に接吻させ、一同声を合わせて3度、至聖なる秘跡は賛美せられさせたまえと繰り返した、というのだから、どうしてそこまでやれたのかと、不思議にさえ思える。また処刑後の殉教者の遺体も丁重に取り扱われている。もちろん、これらのことは地域の人々の尊敬の表れには違いないが、何よりもキリシタンの強い意志がそこに働いている。》(上記本〈絵の解説〉「米沢の殉教は、なぜ美しい」83-84p)「キリシタンの強い意志がそこに働いている」かどうかはともかく、当時の米沢のキリシタンに対する寛容な雰囲気が、ボレロ神父によってしっかりローマに伝えられていた。その具体的内容は、上杉藩資料ともぴったり合致するという。(日本人修道士ジョアン山の働きがあったと考えられている。)