ふと「不易流行」という言葉が浮かんできました。あらためてその意味を見てみたら、「いつまでも変化しない本質的なものを忘れない中にも、新しく変化を重ねているものをも取り入れていくこと。 また、新味を求めて変化を重ねていく流行性こそが不易の本質であること。」とありました。事象の流れの中から自ずと浮かび上がる「法則性」、そしてその背景から見えてくる「法則性のゆえん」のようなもの。それが「不易性」?・・・まだボヤーッとしていますが、ひとつの「課題」のように思えてきたところです。
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955:出世外人 :2020/10/04 (Sun) 15:15:02亀さん>>950>出世外人さんの〝物差し〟(中央集約vs.地方分権)に、「攻守」を絡めて立体的な〝物差し〟をココで披露して戴けませんか? >「中央集約vs.地方分権」と今回の「攻守」を組み合わせると、何かとてつもない物差しができるのでは・・・、というのが小生の直感です。以前、「日本史図式」なるものを投稿した以降も、実は自分なりにいろいろ調べたり考えたりしていました。 そのうち、他にも何通りか「集権・分権」の交代のような歴史の振幅運動が見えてきて、日本史を貫く「法則性」のようなものがあるのではないかと感じていたところだったのです。
「攻め」と「守り」もその中の一つなのですが、軽く投稿してみたら、「もうちょっとあるんじゃないの!」と指摘され、ドキッとしました。ざっと書いてみると、以下の通りです。・統治体制 …… 中央集権←→地方分権・統治の主体 …… 官僚(公家)←→自治(武家)・経済 …… 通商・交易型←→農本型・外交・海外展開 …… 積極的(外向き)←→消極的(内向き)・優位な地域 …… 西日本(朝廷)←→東日本(幕府)・優位な氏族 …… 平氏←→源氏・優位な王朝 …… 南朝(天皇親政を志向)←→北朝(庶民の自治を許容)・政治的責任の所在 …… 曖昧←→明確* * * * * * * * * * * * * * * * * * 上記を、「日本史図式」(下記)の中に当てはめて概観すると分かりやすいと思います。 *大和政権草創期:分権的 ↓ *奈良時代~平安時代中期:中央集権的(大宝律令制定 現在に続く徴税機構と官僚機構の成立) ↓ *平安時代後期~鎌倉時代:地方分権的 ↓ *建武親政:中央集権的 ↓ *室町時代~戦国時代:地方分権的 ↓ *織豊期:中央集権的 ↓ *江戸時代:地方分権的 ↓ *明治時代:中央集権的 ↓ *大正時代:分権的(大正デモクラシー) ↓ *昭和・平成:中央集権的(大政翼賛、国家総動員法)、グローバリゼーション>確か拙宅でだったかと思いますが、酒を酌み交わしながら出世外人さんが、「飯山さんには是非東北の地を訪れ、東北人の心を知って欲しい」、>といった旨のことを語っていたのを思い出します。換言すれば、飯山さんが東北の地を訪れ、本当の東北人の心「守」を肚で理解しないことには、>飯山さんの古代史観が画竜点睛を欠くままで終わってしまうといったことを、当時の出世外人さんは小生を含め、拙宅に集った他の参加者に云>いたかったのだと、今の小生は解釈していますが、当たっているで>せうか?かなり大雑把ですが、西国・中央集権側が天つ神・天孫族(百済・伽耶・扶余)系で、東国・地方分権側が国つ神・出雲族・蝦夷系といえると思います。そして両者の交代・融合によって、日本というものが成立してきたと思うのです。文化的に見ても、たとえば日本仏教の特質は「山岳宗教」「即身成仏」「不惜身命」などですが、これはインドや東南アジア、中国などの仏教とはかなり趣が異なる点です。百済経由で渡来した仏教に、天孫族以前の在地の宗教・信仰が色濃く反映されたものだと思うのです(東北では出羽三山がその代表。また空海の出自である佐伯氏は四国に移住した蝦夷)。また日本人のひとつの典型である「武士」の成立には、阿弖流為、安倍氏など蝦夷の「騎射」戦法や気質が大きくかかわっていると言われます(奈良・平安期、「蝦夷」は日本各地に移住させられて、防人の他、豪族の「軍事顧問」のようなこともさせられていたようです。安倍元首相の先祖がその典型)。日本刀も、大陸・半島由来の直刀に、蝦夷との闘い・交渉の中で、蕨手刀からの影響により、独特の「反り」が加わり成立したという説が有力です(平安時代中期、日本刀は発生期、「俘囚太刀」と呼ばれ、都では異形の存在だったのです)。「東北」というのは天つ神・天孫族(百済・伽耶・扶余)系に対する「在地系」一つの代表というわけですが、飯山先生とは一緒に東北を歩き、その日本史の伏線となっている影響を検証できたらと思っていたのです(もちろん、飯山先生はその「訛り」からも、典型的な東国人でしたが・・・)。956:堺のおっさん:2020/10/04 (Sun) 18:46:42>>955 出世外人さん日本人の気質には外圧の関連がある。日本の歴史と外圧は切っても切れない。当然、南から北から西からと様々な渡来人も侵入してきました。出世外人さんはそのことを鋭く指摘されていたのですが、この点はいかがなものでしょうか。957:出世外人 :2020/10/04 (Sun) 22:08:53堺のおっさん>>956実のところ、「天つ神・天孫族(百済・伽耶・扶余)系」対「国つ神・出雲族・蝦夷系」といった対比は、相当に単純化したものなのです。日本の古代民族には、他にも熊襲・隼人もいるし、沖縄には「うちなー」の人、北海道にはアイヌの人もいます。そしてご指摘の通り古くから朝鮮半島、中国大陸、東南アジアだけでなく、インド、ペルシャあたりからも人の往来があったことが知られています。また、一言で「蝦夷」といってもその実態はかなり多様なものなのかもしれません。独特の騎馬文化、鉄文化(古い時代の日本刀の鉄の質は謎で、「たたら製鉄」とも異なる製鉄方法ではないか、という説もあり)からみて、中央アジアあたりの民族も日本海を渡って逐次渡来し、東北地方で混交していった、といったことも想像されるのです(この辺、亀さんが飯山先生の説を紹介されていますね⇒ http://toneri2672.blog.fc2.com/blog-entry-1807.html)。さらに近世の初期には西洋人(南蛮人・紅毛人)も渡来し、多大な文化的影響を与えています(たとえば純粋な日本文化の象徴と考えられている「茶道」にすら、キリスト教のミサからの強い影響が指摘されています。日本にキリスト教文化が与えた影響は庭園や茶道から、建築・土木・軍事技術にいたるまで幅広いのですが、厳重なキリシタン禁令によりその影響を隠したために、いつしか日本人が日本独自の文化・技術と思い込むようになってしまったようなのです)。 実の所、日本人・日本文化というものは、世界の様々な地域の民族・人種・文化文明が、日本という風土の中で混然一体となった重層的なもの、とみるべきでしょう。
【追記 2020.10.6】
959:出世外人 :2020/10/05 (Mon) 07:30:29
>>956 >>958
堺のおっさん 亀さん
ご質問は、「外圧」か、「内圧」か、ということですね。
(質問の意味を、別に解釈しておりました・・・)
その点では、私も趨勢として、「外圧」による影響が大きいと思います。
日本列島は外敵の侵入も少ないだけに、外圧がなければ、自然と内向きになり分権化し、社会が比較的固定化していく傾向にあると思います。
「日本史図式」の際にも触れていますが(http://grnba.bbs.fc2.com/reply/16675542/349/)、白村江の大敗、元寇、黒船の到来など、日本の歴史では外的圧力によって中央集権化など社会の大変革が起きてきたと思います。
ただ、単純に「外圧か内圧か」と断じられない場合もあり、たとえば気候変動による飢饉・食料減少、それから貿易の決済手段である金の産出量・流通量の増減といった要素もあると思います。
鎌倉時代、江戸時代に日本が内向きになり分権化した背景には、気候の寒冷化による食料生産量の低下といった背景があるようです。
食料生産が低下すると、人や物資を首都に集め、さらに各地に再分配するといったことも、輸送・移動コストなどロス多すぎて、とても中央集権体制を維持できないわけです。
また、貿易に回せる剰余物資も少なくなり、自給自足の度合いが増えると思います。
たとえば平家が滅亡し源氏政権に交代したのも、単純に「平家が貴族化して軟弱になったから」ではないと思うのです。
飢饉が続くと、輸出品である金を掘る、硫黄を取る、蒔絵細工を作る、刀剣を鍛える、といった労働者を支える食料も不足します。
結果として入宋貿易も不振になり、「平家の通商的な政治・経済の体制にはもうつきあえないよ」という恰好で各地の勢力が離反し、平家が没落したのではないでしょうか。