宮内生まれの女大関 若緑が、山形新聞に大きく紹介https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2020-09-08されて以来、いろんな展開があった。記事が出てまもなく、上山城の事務局長さんが、9月27日から開催される「山形の相撲」展のポスターとチラシを持って来られた。チラシには化粧まわし姿の写真と共に「昭和前期に活躍 女相撲の大関 若緑(南陽市出身)」とある。『女大関 若緑』『相撲取り母ちゃんとガキ大将』をお貸しした。


返事を出せないでいた『女大関 若緑』の著者で次男の遠藤泰夫氏に新聞記事を送って、再度のお手紙と貴重な写真を送っていただいた。手紙には早坂暁さんとの交流のことも書いてあった。私が「夢千代日記」等で知られる早坂さんと渥美清とが、お互い世に知られる前からの「心友」であったことを知ったのは、秋野太作著『私が愛した渥美清』によってだった(→https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2017-12-17。その早坂さんが若緑とつながっていたことがうれしかった。そのことを書いて送ったのだった。泰夫氏からの返信にこうあった。《早坂暁さんが小学生の時、母の相撲を観たそうです。早坂さんの実家と私の住む家は同じ町内会で200メートルも離れてなく、親しくさせていただき、早坂さんが山形放送の60周年記念番組「いっちゃな〜女たちの相撲甚句」に出演された時も少しばかりお世話させていただきました。》