mespesadoさん《古代の韓半島で、発掘量の少ない石器時代のあと数千年人が居なくなって、その後日本の縄文土器が出て来て縄文時代になった ──》→亀さん今後、半島が温暖になった時代以降、日本列島から半島に渡った人たちが、山形先生の云う「在地原住民」である可能性がありますね。このあたりは、半島で発見されている縄文土器の他、半島人のDNA研究からも、次第に事の詳細が明らかになっていくことでしょう》


馬野周二著『人類文明の秘宝「日本」』が思い起こされて引っ張り出した。《中華などというのは後代支那人の慢心で、支那文明の本当の秘密は、東アジア上古文明の根元が日本に発したところにある。》(37p)《中国思想の二大源流、孔・老の徒が、そのまったく相反する教説にもかかわらず、日本に関心を抱いていたということである。そして、春秋以前、孔老の学の分化しない殷から周初にかけて、すでに日本人が深く中国にかかわっていた》。(78p)《暦法で見れば、日本では太古代から太陽暦が用いられていた。・・・後世太陰暦が入ってきたのは、支那文明の影響による。また60年周期の兄弟(エト)暦もあった。しかしこれは支那の干支とはまったく異なる概念のもので、仮名二字を組み合わせる。干支は日本から渡ったものである。》(152-153p)ゾクゾクしながら読んだ記憶がよみがえる。発刊年を見ると平成3年(1991)4月、ちょうど「21世紀、置賜は世界の中心になる」と言い出した時と重なっていた。


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