定期的に、忘れたころに、待ってましたとばかりに起きる買い漁り。一般人はそれをまるで楽しんでいるかのよう。》今もわれわれを縛り付ける《過去の人類の歴史を占める大半の「資源不足の時代」》に培われた習性。もうそこから解放されていいんだよ、身も心も。・・・で、故松尾雅彦氏(カルビー)の『スマート・テロワール』を思い出した。


1970年代日本は、食料の「供給不足時代」から脱却して「供給過剰時代」になった。《我々が食べる量は毎年減っているのに、マーケットに投入されている食べ物の勢いはとどまることを知りません。消費カロリーと供給カロリーの差がどんどん広がっているということです。消費されているのはわずか三分の二で、それ以外の三分の一がロスや廃棄されていることを意味します。》(29p) このムダをどうするか。ここから、地域内でのできる限りの自給を目指す地域ユニット『スマート・テロワール』の議論が始まる。

「不満」は「資源不足の時代」に身についてしまった習性。気持ちを切り替えさえすれば「自足」は十分得られる世の中になっている。コロナ禍を「気持ち切り替え」の好機と受け止めたい。

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