昨日6月定例会開会。本会議終了後、文教厚生常任委員会。議題は「行政視察をどうするか」。口火を切ったのが私、山形県の県境検査に際しての「観光地をかかえる県の姿勢としていかがなものか」という佐藤賢一氏の主張を紹介しつつ、「赤湯温泉をかかえる市として行政視察をやらないという選択肢はない。こういう時期こそ他地域の状況を把握したい。」と主張。それを受けてA委員「一般質問を行わない議会が県内に5議会もあると聞くが言語同断。行政視察についても、今から中止の判断はすべきでない。」するとB委員から「こういう時期、受け入れてくれるところはない」とちょっと的外れと思われる意見もあったりしてけっこう喧々囂々になり、そのうちC委員「こういう時こそ行政と心をひとつにして・・・」の発言。この物言いにカチンと反応、「議会が頭から『行政に合わせて』みたいなこと言ってたら議会の役割は果たせない。そんなこと言ってるから議会不要論が出る。議会と行政の間には緊張感が必要。20数年前はそれがあった。」私の言い方がちょっとキツかったこともあって、D議員間に入る形で「まあまあ、今はこのコロナ危機をみんなでなんとか乗り切ることが大事」。それでまた反応して、「インフルエンザの死亡者が3000人なのに、コロナは900人。死亡者総数にしても今年は例年より少ないとも聞く。コロナ自体をマスコミが騒ぐままに受け取っていいのかどうか、マスコミを真に受けての議論自体がおかしい。」そのあと委員長、「議会運営委員会では、今年の行政視察は行わないこととし、不要となった分の費用についてはコロナ対策使途を明示の上返上するということになったのでその方向で」。この発言にA委員が反応、「行政視察費用とコロナ対策費用は全く別もの。行政視察費用をあてにしてのコロナ対策などロクなものでしかない」と正論。結局「行政視察中止判断は当面見送り」の結論でした。終わって思ったのは、「お利口さん発言」がまかり通るようではダメ、私の役割はとりあえずそこをぶち壊すことにありそうだ、ということでした。

昨日のことを長々と書いたのは、mespesadoさんの「大人の対応・大人の事情」論への反応。コロナ危機のせいで、来賓などの出席依頼もないし、議員としての飲み会も一切ない。こんなに楽でいいんだろうかと思う。議員というのは、「それなりの地位であって、楽しようと思えばけっこう楽できて、それでそれなりのカネがもらえる」といういい立場なんだなあ、とあらためて思わされている。その上にあぐらをかいた「お利口さん」にはなりたくない、という思いから「カチン」ときたのかもしれない。「自戒」でもある。

それにしても、mesさんのこの言葉はすごい。《「低成長は逆に世の中が豊かになって必需品が完全に普及したことによる必然の結果であり、それまで赤字国債を発行せずに済んでいたのは企業が設備投資のために借金をしまくって信用創造でオカネが増えていたからなんだよ。だから国が代わりに『借金』をし続けないとオカネが不足するんだよ。今の世の中が世知辛いのは国が『借金』をふやさないからなんだよ。もし国がちゃんと『借金』を増やし続ければ、そんなにアクセク働かなくても供給力を損なわずに楽に生活ができるんだよ。楽に生活ができればオカネのために無理に天下りする必要もないし、逆に民間人の庶民がそれを羨む必要もなくなり、オトナの世界が汚くなる必要も無くなるんだよ」》まもなくこれが常識になる、そう思う。

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