マスコミ情報のみで世の中を見ている人と議論できる状況ではありません。そのことで消耗するより、自分にとって信頼できると判断した情報で、しっかり自分の「本(もと)」を固めること。そのことと並行して、やがてくる「新しい世界」に向けて、今何をしなければならないかを考え、手立てが必要ならその手立てを講じること。その「手立て」とは、これまでの感覚のたとえば経済的な手立てのどうこう以前に、心構えというか、精神的なことのように思えます。・・・こう書いて今から30年前、「美(うま)し国 おいたま」というスライドをつくったことを思い出しました。副題は「21世紀、置賜は世界の中心になる」でした。こんな言葉が入っています。(https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2020-04-19-1

 《今私たちはとてつもなく大きな夢に捉えられています。
  その夢とは、21世紀の置賜を日本の中心、
  そしてさらに世界の中心にしてしまおうというとてつもない夢です。
  ・・・ただしそれは、20世紀を支配してきた感覚とは全くちがった、
  ややもすれば片脇に押し退けられ、あるいはまた、
  ようやく私たちの意識の中に顔を出しつつある21世紀的感覚によって、
      はじめて見つけることのできる可能性のはずです。
      置賜は、この21世紀的感覚によって世界の中心になるのです。》
そして「21世紀的感覚の芽」を見出すべく、置賜にゆかりある何人かがとりあげられます。寺島求馬(明治の初め、成島八幡宮近くに住む学者)、上杉鷹山公、結城豊太郎、浜田広介、吉本隆明、井上ひさし、ますむらひろしの7人です。
 《置賜にゆかりある方々を取り上げてみましたが、
  共通のイメージが浮かぶとすれば
  それは、心のやさしさ、人の善さであり、
  そして理想主義、高い精神性への強い志向です。・・・
  精神文化の高さを測る物差しは人の心の善意の度合いです。
  20世紀を支配してきた物欲文化、
  より多いモノとカネの追求、
  その根っこにあるのは、
  羨(うらや)み、ひがみ、やっかみ、そねみ、ねたみ、・・・
  それらをすべて善意で浄化した高い次元の世界、
  それが21世紀的世界。
  としたらそれこそまさに、心やさしく人のよい置賜人が
  心の底で芯から望んでいる世の中。
  時代は私たち置賜人の望む方向へ、
  まっしぐらにつき進んでいるとはいえないでしょうか。》

物欲文化の行き着いた先に開けてくる世界です。今朝アップした「「これからは人類の一人一人が天皇が独占していた祭祀を行っていくのである」(猿都瑠)」https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2022-04-05 とも重なります。今しがた読んだ田中宇氏の「ドルを否定し、金・資源本位制になるロシア 」(会員版)の射程は、私にはそこまで及んでいるように見えます。以下抄録です。 

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