昨日、仙台青葉神社にて東北神咒(かじり)奉唱大会が斎行された。青葉神社御前での斎行は平成元年から始まった。昨年はコロナ禍で休み、今回は第32回となる。全国の支部の多くが今年も中止を決める中で、東北支部は決行となった。「なにごとも神(かむ)ながら」、すべては神さまのお計らいのままにことは運ぶ。東北は、神道天行居にとって特異な地なのである。→https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2019-07-14

われわれの御神事に先立ち、青葉神社禰宜による修祓式。打ち鳴らされる太鼓の音に身が引き締まる。伊達政宗公の御臨在を思う。震災のあった10年前、片倉小十郎景綱直系子孫片倉重信宮司がこう語られている。《「3.11の地震で不思議なことがあった。本殿の扉は全部で3つある。正面の扉は外に錠がついているが、両脇の扉は内側から錠前を下ろすようになっている。外から両脇の扉を開けることはできない。その扉が、3.11の地震で錠前が下りたまま内側から開いてしまったのだ。この日はさらに、境内の灯篭一対が倒れ、8メートルの大鳥居が倒れた。灯篭が南側に倒れたのに、鳥居はどういうわけか北に、つまり神社の内側に倒れた。これらのことをどう解するか。実は政宗公から『結界を外したよ』との御神示があった。結界が解かれたことで、神様が本殿の外に出てこられたようだ。天照大神が岩戸からお出ましになられた時も、まず内側から開かれた。つまり「岩戸開き」が行われたのだ。一方、鳥居の倒壊は人間の側の結界が解かれたことを意味する。民の力が鳥居を倒すほどの勢いで神社へとなだれ込んだのかもしれない。神は人に近づき、人は神に近づいた。そして、神と人とが胸襟を開き合う。いよいよ岩戸が開かれたのです。》https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2011-06-15

今回の大会の意義は、祝詞の最後に込められた。曰く《辞別(ことわけ)て白(もう)さく新型コロナなる流行病(はやりやまい)に惑わされて怪しげなる異物(いなるもの)身中(みのうち)に入れるべく世を挙げて狂いおるを天劔(あまつつるぎ)の御力(みちから)によりて速やけく正気(せいき)に還(かえ)りせしめ給へと畏(かしこ)み畏みも乞祈(こいの)み奉らくと白す》