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- 本
安藤礼二『列島祝祭論』を読む
《来たるべき祝祭学が主題とする「憑依」を中核に据えた社会の探求は、いわゆるシャマニズム文化圏全域を、その対象に含む。》(17p)この一文に象徴されるこの書の深さと広さ、心躍らせつつその世界を覗き込んだ。
読みつつ葦津珍彦の言葉が思い起こされた。《神懸りの神の啓示によって、一大事を決するのが古神道だった。だが奈良平安のころから段々とそれが乏しくなり、近世にはそれがなくなったとすれば、古神道の本質は、すでに十世紀も前に亡び去ってしまっているのではないか。神の意思のままに信じ、その信によって大事を決するのが神道ではないか。それなのに、神懸りなどはないものと決めて、神前では、人知のみによって思想しつづけ、ただ人間の側から神々に対して一方通行で祈っているとすれば、それは、ただ独りよがりの合理的人間主義で、本来の神道ではあるまい。》(葦津和彦「古神道と近世国学神道」『神国の民の心』 島津書房 昭61所収)
この思いに照応するのが次の箇所、《明治維新とその後に続いた神道の道徳化、いわゆる「国家神道」化によって、宗教としての神道の中核に位置づけられる「神憑り」は禁止され、同時に神仏習合的な要素を色濃くもっていた民間の芸能も禁止された。さらにはそれら、宗教にして芸能を担っていた修験の徒たちも強制的に解散させられた。神官は世襲ではなく、国家から任命されることとなった。近代国民国家の主権者とされた「天皇」の一族を唯一の例外として、神に仕える者たちはすべて「宗教」から排除されてしまった。》(23p)
時代が下るにつれ、神事からその中核が骨抜きされていく様がイメージされる。ただ日本にとって、少なくとも「天皇」においては、本気の「祈り(神との通い合い)」が脈々と今に伝えられていることがありがたい。そこに光を当てたのが、折口信夫、《折口古代学は大嘗祭論(「髯籠の話」)としてはじまり、大嘗祭論(「大嘗祭の本義」)として一つの完成を迎える。大嘗祭という祝祭において、神と人とは、ほとんど合一する(「大嘗祭に於ける神と人との境は、間一髪を容れない程」)、あるいは、・・・折口の表現を用いれば、「神人交感」するのである。》(34p)
天皇としての最重要祭事(神事)たる大嘗祭、その背景には、民レベルの「祈り・神人交感」の広く深い基層がある。折口の言葉、《「日本には、国家意識のまだ確定しないほどの大昔から続いて、沢山の神人団体が漂浪して居ました。一種の宗教的呪力を持って諸国を遊行し、其力で村々を幸福にもし、呪いもした、後の山伏団体の様なもので、彼等は時代々々の色合を受け、当世の宗教に近づいて行った為に、多少の変化は見せて居ますが、本来の精神は、殆んど変らないで、かなりの後までも、芸能と呪力を持って、旅を続けて居たのです。」》(44p)
民レベルの基層のひとつ、山伏による「修験道」は、祈り・神人交感の「行」を「業」とする。その「場」としての出羽三山、とりわけ大日如来の体現とされる湯殿山に目が向けられる。以下の文、湯殿山に行かれたことのある方は実感として受けとめることができるにちがいない。
《生命をもった石、生命であり非生命であるとともに、生命と非生命を同時に生み出す「もの」。・・・その生きた石こそが、曼荼羅の中心に位置する大日如来・・・宇宙の中心に位置し、宇宙そのものを生み出す、生命をもった巨大な石としての胎児。・・・曼荼羅としての「山」の中心には、無垢なる胎児としての「大日」は、大地の底から、火と水が一つに融け合った「湯」を噴き上げ、森羅万象あらゆるものの生命を生み出し、生命を更新している。無限の光を発出する太陽であり、無限の生命を発生させる泉である。》(189-190p)
これにつづくのが、著者にとっての湯殿山体験の意味付け。長いが引用したい。
《その「もの」の上に立ったとき、如来蔵としての人間は、如来蔵としての曼荼羅と一体化する。つまりは「合一」を遂げるのである。そのとき、いったいどのような事態が生起するのか。生命とそれを取り巻く環境、人間と行、精神と物質、「私」の内側と外側、「大地」の内側と外側といった区別は一切消滅してしまう。「私」の内側にあるものは外側にあふれ出し、「私」の外側にあるものは内側に殺到する。湯殿山の「石」が体現しているように、生命と非生命の区別さえ消滅してしまう。そうした体験を、修験道の行者たちは「神懸かり」(憑依)と名づけた。「神懸かり」とは、「私」とそれを取り巻く「自然」の区別が消滅し、すべてが神的なものへと変容してしまうような体験、神即自然にして自然即神の体験である。その瞬間、生命と非生命の両者を貫いて流れる「力」が解放される。その「力」はあらゆるものに生命を賦与して独自の形態を与えるとともに、あらゆる生命の形態を崩壊させ、変容させてしまう(「死」とは変容のとる一つの過程に過ぎない)。その「力」、過去と未来を貫いて流れ、すべてのものに形を与えるとともにその形を滅ぼす「力」を、修験道の行者たちは「霊」(「霊魂」)と名づけた。/「神懸かり」は「霊魂」を解放する。》(190p)
結論。「祭り」→「神懸かり」→「霊魂の解放」。よって、「祭り」とは「霊魂の解放」である。(つづく)
民レベルの基層のひとつ、山伏による「修験道」は、祈り・神人交感の「行」を「業」とする。その「場」としての出羽三山、とりわけ大日如来の体現とされる湯殿山に目が向けられる。以下の文、湯殿山に行かれたことのある方は実感として受けとめることができるにちがいない。
《生命をもった石、生命であり非生命であるとともに、生命と非生命を同時に生み出す「もの」。・・・その生きた石こそが、曼荼羅の中心に位置する大日如来・・・宇宙の中心に位置し、宇宙そのものを生み出す、生命をもった巨大な石としての胎児。・・・曼荼羅としての「山」の中心には、無垢なる胎児としての「大日」は、大地の底から、火と水が一つに融け合った「湯」を噴き上げ、森羅万象あらゆるものの生命を生み出し、生命を更新している。無限の光を発出する太陽であり、無限の生命を発生させる泉である。》(189-190p)
これにつづくのが、著者にとっての湯殿山体験の意味付け。長いが引用したい。
《その「もの」の上に立ったとき、如来蔵としての人間は、如来蔵としての曼荼羅と一体化する。つまりは「合一」を遂げるのである。そのとき、いったいどのような事態が生起するのか。生命とそれを取り巻く環境、人間と行、精神と物質、「私」の内側と外側、「大地」の内側と外側といった区別は一切消滅してしまう。「私」の内側にあるものは外側にあふれ出し、「私」の外側にあるものは内側に殺到する。湯殿山の「石」が体現しているように、生命と非生命の区別さえ消滅してしまう。そうした体験を、修験道の行者たちは「神懸かり」(憑依)と名づけた。「神懸かり」とは、「私」とそれを取り巻く「自然」の区別が消滅し、すべてが神的なものへと変容してしまうような体験、神即自然にして自然即神の体験である。その瞬間、生命と非生命の両者を貫いて流れる「力」が解放される。その「力」はあらゆるものに生命を賦与して独自の形態を与えるとともに、あらゆる生命の形態を崩壊させ、変容させてしまう(「死」とは変容のとる一つの過程に過ぎない)。その「力」、過去と未来を貫いて流れ、すべてのものに形を与えるとともにその形を滅ぼす「力」を、修験道の行者たちは「霊」(「霊魂」)と名づけた。/「神懸かり」は「霊魂」を解放する。》(190p)
結論。「祭り」→「神懸かり」→「霊魂の解放」。よって、「祭り」とは「霊魂の解放」である。(つづく)
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ともあれ、《「祭り」とは「霊魂の解放」である》というひとつの命題に行き着いたところで後半へ。この命題についての展開はこれからの課題。これを頭に置いて、あらためてこの著を読み直してみたい。