《遠隔での指導や子ども同士の交流を充実させた民間の支援サービス(「クラスジャパン小中学園」)が登場し、授業のライブ配信に乗り出す教育委員会も。対面授業を重視してきた文部科学省も、教室だけではない学びの場として期待を寄せ始めた。》《こうしたオンライン学習は、校長の判断で出席扱いすることができる。》《2019年度の不登校の小中学生は18万1272人と過去最多を更新。出席扱いとなった子どもはわずか608人だが、それまで300人前後で推移していたのと比べ大幅に増えた。》《今年は新型コロナウィルス感染拡大が思わぬ追い風となった。》《「オンライン学習は登校再開の意思が前提」と抑制的な方針を示していた文科省も、態度を変えつつある。》

今朝の山形新聞、親としての体験もあり感慨がある。「身につく教育」とは何かが問われる。「われなし能う、ゆえにわれあり」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2016-01-07 コロナ騒ぎの中での「在宅」の見直しが「学校」にも及んでいると考えればいい。「ただそこにいるだけでナンボ」ではなく「なにができたかでナンボ」へ、「そこでとにかく時間を過ごす」ことから「何を身につけたか」へ。職場が変わるように学校も変わる。

先日、mesprsadoさんが言った。サラリーマン社会って一見「仕事している」ように見えるけれども、実は「オレはアイツより仕事がデキる」というマウントの取り合いで維持しているだけじゃありませんか?アンタが仕事しなければ、代わりに二番手が「仕事できる」認定されるだけのことであり、全体としての生産性には影響がない。つまり、マウントを取ってるアンタにはいくらでも「替え」が効くんですよ。》「マウントの取り合い」、もうそういうの無しにしたらいいんじゃあない、という世の中の流れ。「評価意識」からの解放にも通じます。→https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2020-11-11

東洋経済ONLINE「長期休校が不登校支援の現場に示した「可能性」ーオンラインは悩める生徒の「居場所」になるか」を転載しておきます。https://toyokeizai.net/articles/-/357798


*   *   *   *   *