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教育の何を変えるべきかー 秩序感覚の回復を [教育の未来]

mespesadoさんに、私が20年ぐらい前に書いた文章に注目していただきました。「新しい歴史教科書をつくる会」の運動に奔走していた頃、産経新聞の懸賞論文募集に応募した文章です。長谷川三千子先生が選者だったので張り切って書いたのですが、あえなく落選でした。久しぶりに読み返しましたが、今でもそのまま私の考えの基本です。転載しておきます。

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教育の何を変えるべきか
ー秩序感覚の回復をー

 「素直であること」が悪いことであると思わなければならない、と思い始めたのは今から四十数年前、小学五、六年生の時だった。当時の担任であった女の先生は、作文指導の中で、何事に対しても批判的であることの大切さを教え込んでくれたのだった。それまで「人の言うことは素直によく聞くこと」とばかり思い込んでいた私にとって、世界がひっくり返るような教えだったのだと思う。目のパチパチが止まらなくなるチック症で「ソロバン」のあだ名が付いたものだった。
 以来戦後教育の洗礼をまともに浴びつつ高校から大学へ。しかしあの全共闘時代の真っ只中、何とか渦中に巻き込まれずに踏ん張れたのは、祖父母のいる家庭で培われた、学校教育以前の「三つ子の魂」のおかげだったと思う。
 まじめに勉強すればするほど人間がおかしくなる。まじめに勉強すればするほど、自分の住む国がいやになり、世の中に対して反抗的になり、世の中のしきたりなどどうでもいいことのように思えるようになり、年寄りを軽んじて平気な人間になってしまう。自らを省みてそう思う。学校の勉強なんていい加減に聞き流してきた方が、ずっとまともな人間として暮らしてゆけるのだ。戦後教育に内在する恐ろしい逆説である。 
 中学の「公民」の教科書(東京書籍)を開くと、「社会における利害の調節や紛争の解決をめざす営みを広い意味で政治とよぶ」とある。利害の対立や争いごとがあるから政治があるということになる。そうなのだろうか。日本では、政治を「まつりごと」とも言う。そこにはまず秩序がある。政治の役割とはまず何よりも、世の中の秩序を維持することではなかったのか。たしかにもめごとの解決も秩序の維持も同じことの裏表、しかしどちらを表に出すかで、もめて当然か、まとまっているのがあたりまえか、天地の隔たりが出てきてしまう。この教科書ではわざわざ「広い意味で」と言っているので、子供たちは、すべて政治は基本的にそういうものなのだと思い込む。その一方では「人権の尊重」とか「自由と平等」とかの言葉で西洋仕込みの個人主義をたたき込まれるわけで、いくら「公共の福祉」やら「寛容の精神」やらで和らげようとしても、世の中もめていてあたりまえ、みんな自分の思いのまま、強いものが得をする、そんな感覚になってしまわざるをえない。
 歴史の教科書も同様である。たとえば、「大正デモクラシー」の節には「米騒動は、およそ三ヵ月にわたり、約七〇万もの人々が参加する民衆運動となり、軍隊の出動でしずまったが、人々の政治的な自覚をうながした。」(日本文教出版)とある。まさにもめごとが「政治的自覚をうながすもの」として奨励されるかのようである。
 また、「公民」の教科書(東京書籍)では、「人権」について三七ページにわたって説明されている。「人権」という言葉と表裏一体のものとして「自由」が叩き込まれる。しかもそれは「国の秩序」や「学校の秩序」や「家庭の秩序」よりも何よりも優先されている。本来「人権」や「自由」という考え方は、弾圧や抑圧に対抗するものとして生まれてきたはずのものなのに、今の教科書ではそれだけが一人歩きしてしまっている。
 かつてわれわれ世代にとって教祖的存在でもあった吉本隆明は「個人幻想は共同幻想に逆立する」と言った。われわれは、共同幻想からはみ出た部分を自己とし、それを以って存在の基盤に据えようとしていた。存在自体が根底において反秩序なのである。世の中との乖離は必然である。学生時代を含め十年間の独り暮らしから、家業を継ぐため家に戻って、地域に溶け込んでゆく中で、戦後教育で身につけた殻を徐々に徐々に剥がしてきた。教科書を読むと、殻をまとっていた頃の自分が見えてくる。
 フッサールからメルローポンティに連なる現象学の系譜は、コギト(思う我れ)を原理とするデカルトを批判し、コギト以前の「すでに生きられた世界」こそが初源であると喝破した。ハンカチを片手で渡すと渡された相手は片手で受け取り、両手で渡すと両手で受け取るという実験をテレビで見たことがある。私たちは、考える以前の行動のレベルでは、いちいち心の中の「私」が考えて行動しているわけではない。そこでは、まだ「私」の意識が育っていない赤ちゃんがそうであるように、私の気持ちと相手の気持ちとは溶け合っている。自ずとそこには秩序がある。その初源を忘れて「私」を原理としたところに戦後教育の根本的な誤謬がある。「思う我れ」を第一義とするデカルト的主知主義からの脱却、すなわち共感の体験を第一義とすることを通して、個人以前の秩序の感覚を取り戻すことを教育改革の要に据えねばならない。難しいことではない。われわれはすでにそうして生きているのである。

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「新しい歴史教科書」運動は、私の思い描くようには進まなかったが、あれから20年、世の中全体一応そういう方向には進んできたのではないか。当時私などは「極右」視されていたものだった。たしかにあの頃の学校現場には、まだ「日教組感覚」が息づいていた。あの感覚は、今ではほとんど骨抜きになっている。ただ「骨抜き」になってしまった後の替わりの骨がないままで、頼りない。組合の先生の「気骨・気概」が懐かしい。→「追悼 菅 弘先生 (元山形県高教組委員長)」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2013-10-11 そもそもこの文章「秩序感覚の回復を」とは、「替わりの骨」を目指したつもりでした。

mespesadoさん今いろんな場で民主主義そのものに対する疑いの目が向けられている》民主主義そのものに対する疑いの目》、私は内村鑑三『代表的日本人』の鷹山公の章の序論にふれてから、はっきり思うようになりました。→「「置賜発アジア主義」(6)雲井龍雄と内村鑑三」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2019-02-20

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186 名前:mespesado 2021/03/29 (Mon) 07:26:50
>>185 はぐらめいさん

 めいさんの最新エントリーから、過去記事を読みに行くと、めいさんの
https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2006-03-19
>  中学の「公民」の教科書(東京書籍)を開くと、「社会における利害
> の調節や紛争の解決をめざす営みを広い意味で政治とよぶ」とある。利
> 害の対立や争いごとがあるから政治があるということになる。そうなの
> だろうか。日本では、政治を「まつりごと」とも言う。そこにはまず秩
> 序がある。政治の役割とはまず何よりも、世の中の秩序を維持すること
> ではなかったのか。

という言に目が留まりました。
 そうなんですよ。実は私もかつては政治についてその公民の教科書のように認識していました。例の邪馬台国論争で有名な故古田武彦氏もそんなことを言っておられました。
 でも違うんですよね。面白いのは、この公民教科書の定義は一見広義の、すなわち一般化された原則のような顔をしていますが、それより限定された「経済」の分野に絞ってみても、これがウソだとわかります。つまり、私がかつて述べたように、経済における政治の役割とは、「個々人が経済的利益を最大にすべく努力すると、合成の誤謬が生じて皆が不利益を被ることになるので、それを防ぐために経済活動に介入する」のが政治の役割なのであって、個々人の対立する利害を単に調整するのが政治の役割なのではない、ということです。実際、利害の調整なんてカッコイイこと言っても、それだと結局は力の強いものの利害を優先する方向に引きずられることになる。そして、サヨクはそういう状況に反発してポリコレをダシにして自分の利益を主張しようとする。要するに闘争です。これが西洋に端を発する政治の大原則であって、しょせん「民主主義」も、そのような西洋の闘争の原理の範疇にある原理に過ぎない。だからこそ、今いろんな場で民主主義そのものに対する疑いの目が向けられているのだと思います。

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