いまだに「長岡南森古墳」と言えないところがまどろっこしい。古墳と断定されるためには、人工的な塚の上に墓があれば問題なく古墳であるが、そうでなければ (ア)ハニワや、祭祀用の特殊土器(底部穿孔土器)の出土 (イ)表面への葺石貼付 (ウ)古墳の規格に合致した形状があることが必要。ところが、《南森の場合は、墓は既に中世に壊され、消滅しているとみられ、最大の証拠がない状況です。さらに置賜地域は、”古墳にハニワも葺石も無いという地域性”》、また形状についても中世館等の造成で大きく変形、《従って断定は元々困難で、状況証拠を積み上げて判断しなければならない難しさ》の中での調査であるということ。しかし、確実に状況証拠は積み上がりつつあり、5カ年計画中3年目の今、長岡南森遺跡確認委員会にその断定は委ねられている。北町遺跡が愛知学院大学(以前は東北芸工大)の事業としての調査なのに対し、ここは南陽市直営で国の補助は1/2の800万円。正式に古墳認定なれば国指定遺跡になり、4/5が国負担となるとのこと。↓は古墳認定のための上記3条件。左から(ア)(イ)(ウ)。