今日宮内小の5年生に「宮内の歴史」について話してくれるよう頼まれており、行ってきました。今朝になって一応頭にあることを授業案のつもりで整理して臨みました。書き出したらあまりに盛りだくさんで45分の間には到底語りきれる量ではありません。状況に合わせてどんどん切り捨てるつもりでした。ともあれ、3校時と4校時2クラスで語ってきました。最初は用意した内容に囚われてしまいぎこちなくなってしまいました。2回目になるとだいぶ自由になりましたがまだまだです。3回目ぐらいがちょうどいいのかもしれません。いろいろ心残りもあり、反省もしつつ今朝書いたものに加筆して次に備えたいと思います。


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◎目標:日本の住まいを「燃えない住宅」に変えた須藤永次と女大関若緑の二人を通して、かつての宮内のにぎわいへの関心をもってもらうこと。


◎学習の流れ

1.グラフ「宮内地区人口と宮内小学校児童数の推移」の掲示(80×120cm)


〇宮内小学校の在籍数推移
①明治5(1872)年、252名(男171名/女81名)でスタート。(3,238人/473戸)
②明治16(1883)年から増加始まる。320名(231/89)(3,304人/484戸)
③大正6(1917)年に1000人台。1077名(542/535)、男女ほぼ同数。(5,854人/1,010戸)人口急激増加期へ。
④大正15(1926)年に1,500人台。1,553名。(738/815)(9,492人/1,776戸)
⑤昭和15(1940)年に男が女より多くなる。1,941名(1,032/909)。(10,726人/9,942戸)
⑥昭和20(1945)年2,266名(1,136/1,130)で最高。東京からの疎開児童。(10,726名/2,140戸)
⑦昭和25(1950)年1,682名(851/831)がその後のピーク。(11,330人/2,187戸)
⑧平成27(2015)年343名は明治23(1890)年のレベル。(7,496人/2,668戸)

⑨令和2(2020)年320名で明治16年と同じ。(7,102人/2,661戸)