徳洲会理事長が安富祖理事長に代わったことを知った。徳洲新聞から「徳田虎雄」の名前が消えたのは2013年の騒ぎの後、鈴木隆夫理事長就任からだった。それから7年、7月6日号「徳洲新聞」の新理事長直言で「徳田虎雄」の名が堂々復活した。《徳洲会創設の精神は、創設者徳田虎雄先生の幼少時の原体験にあります。鹿児島県の離島、徳之島で医師に診てもらえず弟を亡くしてしまった悲しみ・恐怖・怒りが ”生命だけが平等だ” の徳洲会の理念を産み落としたのです。離島・へき地に病院を建設するために、本土の都市部に次々と病院を開設しました。その高邁な精神と行動力に、高い志を持つ多くの若人たちが賛同し、協力することによって、今日の徳洲会がつくり上げられたのです。私たちが離島・へき地医療を常に意識しないといけないのは、徳洲会の原点、創設者の精神がそこにあるからです。今、私たちの都市部にある病院は、近隣の中核病院と比較し、勝るとも劣らない立派な建物で、最新の医療機器を駆使し、医療を行っています。徳洲会グループとして離島・へき地医療に力を注ぐことにより、彼の地の医療は充実し、ひいては徳洲会がさらに発展する礎となります。・・・私たちは、徳洲会創立47 年の間、多くの困難を乗り越えてまいりました。それは徳洲会の理念実現に向け、職員全員が一丸となって努力した結果であり、それなくしては決して乗り越えることができなかったはずです。「和をもって尊しとなす」。私は社徳職員と協力し、全国の現場に毎週、足を運び、職員の声に耳を傾け、良い取り組みの発見や、全体のバランスを調整し問題解決にあたりたいと考えています。皆で頑張りましょう。》