「はじめに」にこのグラフが示される。平成の「改革」やら「維新」やらの結果がこれである。《今こそ、我が国の歴史に蓄積された智慧を学び直すべき時なのではないか。・・・過去の思想の方が、現代よりもはるかに優れていることも少なくないのである。》(11p)

取り上げられるのは、渋沢栄一、高橋是清、岸信介、下村治。4人とも日本人のくらしそのものに直接影響を与えた実践家であり、その経済政策を支えた多くの理論家も登場する。《経済の「理論」は、特定の状況下において、国民が選択し、実行した経済政策の中に見出される。だとすると、そのようにして見いだされた経済理論は、国民性を強く帯びた、その国民固有の「国民経済学」となるだろう。日本の経済政策の実践の中から発見される理論こそが、真の「日本経済学」である。》(24p)これまでそういう「経済学」はなかったのだ。「新論」のゆえんである。そしていう、《本書が明らかにしようとするのは、このプラグマティズムと経済ナショナリズムという二つの思想が、渋沢栄一、高橋是清、岸信介、下村治の四人に共通して流れているということである。そして、彼らが共有するプラグマティズムと経済ナショナリズムこそが、我々が探し求めている真の「日本経済学」なのである。》(26-27p)ここに、「今の日本をなんとかする!」その自負を見た。さらにいう、《ある人物の思想の中に「日本経済学」が見出せるか否かは、その者の職業が何であるかとか、どのような立場にいるかとかは、必ずしも一致しないということである。》(28p)《だからといって、日本人であるというだけで誰でも、この「日本経済学」を共有できるというものではない。本書が「日本経済学」と呼ぶものは、日本国民の経済生活上の具体的な問題を解決しようとする実践的な工夫の中から生成していくものなのであり、そのような実践経験を軽んじる者が知ることは不可能な理論なのである。》! 了解。