わが子という自分
ちょうちょう組のみなさん、そして保護者のみなさん、ご卒園おめでとうございます。
子どもが小さいうちほど、手がかかる分だけ時間が長く感じられます。それは親にとってだけではなく、子ども自身にとってもそうにちがいありません。その濃密さの度合において、幼稚園での数年間は、その後の人生の同じ時間に比してずっと重いはずです。
わが家の二十二歳、二十歳、十七歳の子どもたち、それなりの経験も積み、また親の考えも理解しようと努めるようになって、問題に直面しての家庭での話し合いもかなり実のあるものになってきました。その中で、子どもたちとの間に共通の土俵のようなものを感じることがあります。それが、私を含めた四人に共通の宮内幼稚園で受けた教育です。
宮内幼稚園教育の伝統を一言でいえば、ひとりひとりの心の動きを大切にしながら子どもたちに接するということでしょうか。そうして育てられることで、自分の心を大切にし、相手の気持ちを尊重することを学びます。
心は身体と別物ではありません。心と身体はつながっています。
まるで
体は
心の固まり
心は
体の風 (夏目祭子)
風はたやすく他の風と交じり合います。固まりである体の方向から見ると人間はそれぞれ個々人ですが、風である心の方向から見ると、自分と他人の区別はあいまいです。いつのまにか自分が他人になり、他人が自分になったりもしてしまっています。同じ匂いの風の吹き合わせ、わが子に自分を感じる時です。
心の方向から見ると、親にとっての子どもは、境目のはっきりしない自分自身の延長です。わが子を通して、親は世界の広がりを体験することができるのです。それが子どもを持つことのいちばんの意味かもしれません。
子どもさんの宮内幼稚園での学びを土台に、これからも親子共々心を合わせて、世界の広がりを体験していっていただきたいと願っております。
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