昨日、私にとってネット上の最大の情報源であり学びの場であり交流の場である「放知技」板に、当選までの経過を書いてきました。

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737:はぐらめい:2020/03/27 (Fri) 06:34:59
>>718 堺のおっさん
>>730 kenichi 2409さん

無投票阻止ということもあって、
「吉野石膏 須藤永次記念館」構想を掲げて立候補を決意したのが告示の半月前、
しかし、コロナ騒ぎの中で訴える構想ではないと思うと決意が萎えて、
告示5日前に立候補断念。
そしてあらためて決意することになったのが告示2日前。
この時、定員17名に17名の立候補表明。
ここで私が表明することでだれかひとり「やめた」といえば選挙はなくなる。
相棒の竹さんと語らって告示当日、他候補の届出を待って届出ることに。
法務局に、日曜でも供託金納入可能であることを確認。
たしかに銀行、なかなか出てきてくれなかったけど行員一人待機してくれていました。
届出まで、親しい仲間にも一切洩らさずに行動した。
最初の決意のとき、届出書類を選管からもらっていたのがよかった。
公費負担は一切なく全て自前だった。
ポスター、チラシ、付け加えたり直したりがあって、届出完了が2時ごろ。
それからポスターのコピー、手分けして市内120カ所の掲示板へ。
いつのまにか仲間たちが集まってきてくれていた。
選挙カーは先の決意の時に貸してくれるという人があったので、
それに付ける看板とアンプ、スピーカーの手配。
選車が届いたのが月曜日の夕方。
その日は8時までひたすら市内を連呼、「お騒がせすることになりました!」
火曜日8時を期していよいよ街頭へ。

ちょっと書くつもりが長くなってしまいましたが、
書きたかったのは、告示2日前再決意の経緯についてです。