- 地元の歴史
先記事(「韓志和」とは(池黒皇大神社))を、《ここまででも十分すごいのだが、さらにすごい展開がある。》と締めてこの記事につづいたのだが、それは、清野春樹氏がこの神像を韓志和の作ではないかと推量していたからである。そこで韓志和がつくった像なり彫刻をネット上で見つけることはできないかと思ったが、それはない。ネットで見る限り、韓志和は伝説上の人物である。それだけに棟札に「木刻師 韓志和」と記されていることの意義は大きい。ただし、韓志和が生きたと思われる年代(820年頃)と棟札の応徳3年(1086)のずれをどう解釈するか。
実は宥明上人と長南年恵さんを顕彰する御社(おやしろ)が飛騨の匠によって南陽市内に造られる計画が進行している。まさにこの時期に韓志和と南陽との関わりが浮かび上がってきたことに「不思議」の感を深くする。今後どんな展開があるのだろうか。