《一度拝すると、やや悲しげな目と、つつましやかな口元の表情は強く印象に残って離れない。》(『南陽市史』上巻 514p)と錦三郎先生が評された池黒羽黒神社神像。私も平成25年に初めて拝した時、一木造で57cmというが、もっと小さい印象で「愛らしい」と思った。(ガラス越しの撮影なので蛍光灯が写っている。)池黒羽黒神社は、皇大神社から登った上ノ平(うわのだいら)にあった古社。明治35年に社殿が大風で吹き飛ばされたため、そこの石祠にあったこの神像、今は皇大神社所蔵になっている。元来神社のご神体は鏡・玉・剣であったが、平安前期以来の本地垂迹説によって、神社にも仏像にも似せた神像が祀られるようになったという。神像と仏像とどこで分けるのかわからないが、神社にあったので「神像」ということになっているようだ。『宮内町の文化財』(昭40)に「羽黒神社の神像と三堀観音堂の諸像」(佐藤東一)という論考があり、その中には《羽黒神社の神像の場合は、菩薩形の仏像と観られるものである。》として、《本像の場合、両腕の切断面を熟視することによって、右手施無畏、左手未敷蓮華の印相の聖観音(或は正観音)と推測してよいのではなかろうか。》とある。そこでネット上で観れるこの像に似た聖観音をいくつかあげておきます。