《 死して死を畏れず 生きて生を偸(ぬす)まず 男児の大節 光日と争う 道苟(いやしく)も直くば 鼎烹(ていほう)を憚(はばか)らず 渺然たる一身 万里の長城 龍雄拝
雲井龍雄27歳、小塚原の露と消えて150年、その詩魂、今まさに甦らんとす。
「心配しなくてもいい、間もなく迎えるであろう死を怖れてはいないし、偽って生きながらえようとする気は全く持ってはいない。男の真直ぐな生き様が発する輝きは、太陽の輝きにも匹敵する。おのれの歩む道が真っ当なものなら、たとえ釜茹(ゆ)でになろうともかまわない。いずれとるに足らない身ではあっても、心は果てしない。勢いを以てさらに、身をも勇躍せしめるべし。狭い日本に留まるのではない、万里の長城を思うがいい。」
この詩は牢外に立つ弟分曽根俊虎に向けて詠ぜられた。(尾崎周道) この詩を享けて曽根は、興亜主義を唱え西洋のアジア進出に抗する先駆となった。曽根は、孫文と宮崎滔天を引き合わせることにもなる。(置賜発アジア主義 )》
「心配しなくてもいい、間もなく迎えるであろう死を怖れてはいないし、偽って生きながらえようとする気は全く持ってはいない。男の真直ぐな生き様が発する輝きは、太陽の輝きにも匹敵する。おのれの歩む道が真っ当なものなら、たとえ釜茹(ゆ)でになろうともかまわない。いずれとるに足らない身ではあっても、心は果てしない。勢いを以てさらに、身をも勇躍せしめるべし。狭い日本に留まるのではない、万里の長城を思うがいい。」
この詩は牢外に立つ弟分曽根俊虎に向けて詠ぜられた。(尾崎周道) この詩を享けて曽根は、興亜主義を唱え西洋のアジア進出に抗する先駆となった。曽根は、孫文と宮崎滔天を引き合わせることにもなる。(置賜発アジア主義 )》
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