若松英輔氏の毎週土曜日「日経」連載「言葉のちから」、今回は吉本隆明だった。若松氏の吉本についての小論を読んで感銘を受け、「最も深い「吉本隆明論」」と題して書いたのは9年前だった。→https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2014-08-23 その若松氏が吉本について書いた文章、私には貴重だ。

若松氏は昭和43年(1968)生まれなので私より2世代若い。われわれにとって吉本は畏れ多い教祖的存在だった。若松氏は吉本宅を何度も訪ねて「延々と」話をしている。若松氏の「力量」のゆえにはちがいないが、世代による吉本への距離感のちがいも思う。私にとって吉本が身近になったのは、吉本が亡くなったことによってだった。→「<追悼・吉本隆明さん> あなたのおかげで大人になった」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2012-03-21 そうしてはじめて吉本宅を訪ねることができた。→「吉本隆明さんの御霊前にお参りしてきました」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/archive/c2302757931-1

若松氏は吉本の言葉として詩とは何か。それは現実の社会で口に出せば全世界を凍らせるかもしれないほんとのことを、書くという行為で口に出すことである》をあげた。先の「吉本小論」で若松氏は、(吉本さんが)「あなたは、老いと悟りの問題をどう考えますか。悟りというものはあるのでしょうか。」こう述べた後、こちらがどんな人間か自己紹介をする間もなく、吉本さんは、十分間ほど自分の考えを述べ続けた。自分も知っている、ある高齢の、高僧と言われた人が自殺した。宗教的な悟りと言われているものは、じつは人間を根源から幸福にするものではないのではないか。それは、人生の秘密を告げ知らせるものではないのではないか、というのである。さらに彼は、悟りとよばれる現象はあるにしても、それは生きるということにおいてはほとんど意味を持たないのではないか、とも言った。その語り口は、何か身に迫るものを感じさせた。この問いを見極めることに人生の大事がある、という風にすら映った。》と書いた。私はそこに「世界を凍らせる」言葉を実感してこう書いている。この部分を読んだだけでこの小論を記録に留めておかねばならないと思ったのだった。吉本隆明と若松英輔という希有な出会いが、「悟り」というものをあっけなく相対化してしまうという歴史的文章に私には思えたのだ。もうこれだけで、吉本とタッグを組んだ若松氏の言葉は「世界を凍らせる」。(「凍らせる」という言葉が、必ずしも「冷たく震え上がらせる」ということだけではなく、詩語本来の意味としての「形をあたえる」という意味合いをも多く含む。若松氏はこのことをも気づかせてくれている。)》

私が吉本から得たいちばん大事な言葉が心の状態だけを大切にしなさい」であることは言を俟たない。出典はここ→エリアンおまえはミリカを愛しているだろうが、色々な事は考えない方がよい 心の状態だけを大切にしなさい おまえがミリカと結ばれるかどうか、それはお前の考える程、簡単には決められない 運命がそれを結べば結ばれようし、結ばれなければそれまでだ 人の世はそのように出来ている》。米沢時代の文章である。

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