鈴木宣弘著『世界で最初に飢えるのは日本』(講談社+α新書 2022.11)を読んだ。

衝撃的なタイトルは、核戦争を視野に、直接的被曝ではなくとも「核の冬」による食料減産と物流停止によって、食糧自給率の低い日本は7,200万人の餓死者が出るとの研究結果による。かねてから言われてきたことだが、いよいよもう「お金を出せば輸入できる時代」の終焉が目前に迫っている。しかしあろうことか、《食料危機が警告されていても、政府内で食料自給率を上げる議論を本気でやっているとは思えない。こうした日本のあり方こそ、日本が直面する最大のリスクかもしれない。》(64p)。としたらどうするか、この著から汲み取るべき主題はそこにある。思いの届かぬ大状況をただ嘆いていても事態はよくならない。まず自分の足元からやるしかない。そのヒントが散りばめられている。

私には「ミュニシパリズム(municipalism)」の言葉が新鮮に響いた。《地域の構成要素を「コモン(ズ)」(構成員によって共同で利用・管理される共有材や資源)ととらえ、市民の政治・政策策定への直接参加を強め、すべてのものを企業の儲けの道具に差し出そうとする流れ(新自由主義)を断ち切って、市民全体のために地域を維持・発展させていこうという取り組みである。》(173p)そこに時代の必然を感じる。その流れの中でいろんな具体的なトライやチャレンジが各地で生まれつつあるのではないか。この著の中では和歌山県の「よってって」に惹かれたし、この著にはないが、日本全体の消費カロリーは供給カロリーの2/3、つまり1/3がロスや廃棄されているという恐るべき莫大なムダを背景に、埼玉県等で活発化している「フードパントリー」の運動にも注目したい。

いずれにせよ、できることはなんでもやってみなければ生きてゆけない時代になろうとしている、と思っていた方がいい。

*   *   *   *   *