SSブログ

「もしかしたら、神のような人なのか」(寂聴) [小田仁二郎]

井筒俊彦が小田仁二郎を何故評価したのかについて、ちょっとわかったような気がしたので書いておきます。

「瀬戸内寂聴 58年前の手記【3】「目をそらして来た彼の妻の影像に向き合う」」にこうあった。《無意識にそこから目をそらして来た彼の妻の影像に、私は、むりやり自分の目を凝らすようにしつけはじめた。8年間、唯の一度も不平がましいことをいわず、唯の一度も私を訪ねても来ず、うらみごとの一つ云っても来ないその人……無神経なのか、生きているのか、もしかしたら、神のような人なのか……。》ここで寂聴さんは、仁二郎の奥さんを指して「神のような人なのか」と言ったのだが、私には仁二郎についても言えるように読み取れた。奥さんが「神」であるように仁二郎も「神」であるようなレベルで理解しあった夫婦関係というのもあったのだと。

その時の「神」を「一人称存在」と言い換えて理解する。実は安藤礼二が、文学は神がかったひとが一人称を語るところから始まった》とする折口信夫と井筒俊彦のひびき合いに着目している文章を読んで仁二郎を思っていたところだった。(→井筒俊彦を読みなおすー新しい東洋哲学のために 安藤礼二+中島隆博https://genron-cafe.jp/event/20191126/)福田恆存は、小田仁二郎の作品がポルノ小説ととられかねないのを危惧して「あくまで知性の文学」と断じたが、福田が「日本で初めての完全な一人称小説」と認めた『触手』に、井筒俊彦は知性以前の、あるいは知性を超えた「神懸かり性」を読み取ったのではないか。つまり、井筒俊彦は小田文学に「文学の初源性」を認めていたのではなかったのか。ーーーここからいろいろ世界が広がるのを感じるが、とりあえず今はここまで。

*   *   *   *   *

井筒俊彦を読みなおすー新しい東洋哲学のために  安藤礼二+中島隆博


討議

シャーマニズムと言語

安藤 ・・・たしかに井筒にとってパーソナルな体験はとても重要です。これは老子解釈にかぎらず井筒哲学の全体にいえます。たとえば井筒は『クルァーン(コーラン)』の訳者解説のなかで、ムハンマドは憑依状態で「神の一人称」(「神憑りの言葉」、ムハンマドに「憑りうつった何者かの語る言葉」)を語ったひとだと述べています。

中島 神の一人称とはどのようなものですか。

安藤 これはすこし複雑です。一人称といっても、そもそも『クルァーン』では神は複数形で表記されているので、厳密には神(アッラー)だけを指しているのではありません。

 にもかかわらず「一人称」(「神憑りの状態に入った一人の霊的人間が、恍惚状態において口走った言葉」)という表現を用いた背景には、おそらく井筒と親交の深かった折口信夫の『国文学の発生』(1929-30年)の影響があります。そこで折口は、文学は神がかったひとが一人称を語るところから始まったのだと言っています。井筒は『神秘哲学』(1949年)で哲学の発生を論じ、『マホメット』(1952年)で宗教の発生を論じ、『ロシア的人間』(1953年)で文学の発生を論じたあと、初の英文著作である『言語と呪術』を書きます。こうした初期の仕事で主張しているのは、哲学と宗教と文学の起源には、人間が人間でなくなるような憑依の体験があり、それが言語の機能と深い関わりを持つということです。井筒の言う一人称の問題には、このような折口を引き継いだ意味と背景があると思います。

中島 一人称というと、インド・ヨーロッパ語族の文化的概念に引っ張られがちです。けれど井筒が『老子』や『クルァーン』で考えた一人称は、それとはまったくべつの概念ということですね。

 井筒は『老子』をよむなかでも、『原文』に「吾」など一人称が使われることに着目しています。中国思想の研究者である福永光司も同じ点に注目していました。ただし、福永はそこから『老子』を実存主義的に読んでいくのに対して、井筒はシャーマニズムとして読み解いていったのです。

安藤 井筒は『スーフィニズムと老荘思想』の冒頭で、ほぼなんの根拠もなく老荘思想はシャーマニズムの哲学化だと主張しています。エラノス会議の最後の講演でも、古代中国の詩人・屈原をシャーマンだと言い切っている。井筒には両極端なところがあって、文献学的にきわめて厳密に考えるときもあれば、ほぼ無根拠に直観で断言するときもある。シャーマニズムへのこだわりは後者でしょう。井筒は直観的に中国の基礎信仰はシャーマニズムにあったと考えていた。井筒の理解する東洋哲学の特徴とは、哲学と詩の問題を同時にはらみつつ、そのはじまりにシャーマニズム的な憑依体験があるというもので、彼にとって老子と屈原はその代表だったのですね。

中島 井筒の解釈にも系譜はあります。『老子』の起源は昔から問題にされていますが、起源は中国にはなく、外国からきたテクストではないかという意見が案外強くありました。また、中国起源だとしても、いわゆる中原(中国古代文化の中心地となった黄河中下流域の平原地帯)ではなく、南方の文化から生まれたテクストだろうという見解も根強くあります。少なくとも18、9世紀ぐらいから、中国学の研究者は『老子』に対して、そういう異邦性の感覚を持っていたと思います。屈原もまた南方の詩人ですから、井筒もそれにしたがっていたのでしょう。

 さらに言うと、シャーマニズムにはより古い中国文化の形態が保存されているという言説もあります。これもさきほど言及した「古」の問題の一種です。津田左右吉が指摘したとおり『老子』のテクストはたぶん歴史的には新しいものですが、にもかかわらず井筒は、『老子』に反映された考え自体は古いものだととらえていました。

安藤 そうした議論は中国にもあるのですか。

中島 はい。『老子』の古さは20世紀の中国でも論争になりました。たとえば胡適という哲学者がいますが、彼は『老子』を孔子よりも手前に置くべきだと考えました。そこで『中国哲学史大綱』(1919年)という本を書くのですが、これが多くの批判を浴びます。じっさい、胡適自身も文献学的に考えれば『老子』を起源にするのは無理だとわかっていたと思います。でも彼は、そのようにとらえないかぎり、20世紀にわざわざ中国哲学を研究しても無意味だと考えたのです。わたしは胡適のこの態度と井筒の姿勢はつながっていると思います。井筒も、文献学を超えたところで問いを立てないと、わざわざ『老子』を読んでも哲学的な意味はないと思っていたのでしょう。

 シャーマニズムについては、ひとつ興味深い話があります。モンゴルで実際にシャーマンの助手をしたことのある日本の研究者から聞いたのですが、いまモンゴルではシャーマンがたいへん増えているそうです。シャーマニズムは結局のところ特定のスキル、とりわけ言語的なスキルに集約されるので、それを身につけさえすればだれにでもできてしまうようです。井筒のシャーマニズムの問題も、ある特殊な言語的スキルとその使用をめぐる問いだと理解すればよいのかもしれません。

安藤 おもしろい話ですね。やはり、井筒のシャーマニズムを考えるカギは言語能力にあるでしょう。すでに言ったように、井筒は預言者や詩人とは神秘的体験を通じて特殊な言語の力を獲得したひとのことだと考えていました。これは『言語と呪術』の言い方を借りれば、言語のコノテーションないしはマジカルな側面を把握することです。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。