先に挙げた系図は平城天皇から始まっていますが、さらに遡ると土師氏から始まっていることになっています。

◎土師氏
 大江氏の源流は古代氏族土師氏(はじし)とされます。 葦原中国平定のために出雲に遣わされたのに、大国主神を説得するうちに心服して地上に住み着き、3年間高天原に戻らなかった天穂日命(あめのほひのみこと)の末裔野見宿禰(のみのすくね)、出雲から大和に来て当麻蹴速(たいまのけはや)と相撲対決、圧倒的な力で殺してそのまま大和に住み着き、殉死者の代用品である埴輪を発明したというのが土師氏の起こり。4世紀末から6世紀前期までの約150年間、古墳時代の古墳造営や葬送儀礼に関わる。やがて土師氏の一族は、桓武天皇にカバネ(王権との関係・地位を示す呼び名)を与えられ、大江氏・菅原氏・秋篠氏に分かれていった。学問名家大江・菅原両氏の祖。

大江氏と菅原氏はもとをたどると一緒です。これで思い起こしたのが熊野大社の菅原神社(お文殊様)と融通神社です。菅原道眞公を祀る菅原神社と長井家第2代泰秀が祀られる融通神社が同一社殿の裏表になっているのです。関連あるのかどうか。菅原神社は尾崎氏が飯山から遷した神社です。融通神社については定かでありません。ネットで見る限り、融通神社というのはここ以外見当りません。なぜ「融通」神社なのか。金のやりくりを助けてくれる神様であることは私自身で実証済みです。巳年の一代神様です。苦労させられた娘が巳年生まれで、この神様にはほんとうに助けられました。