白鷹山塊を龍に見立てると熊野大社の位置は、気の流れ出る龍穴にあたる。龍穴といえば金山の龍口神社が熊野大社末社の厳島神社にまもなく合祀される。龍口神社の場所には、宥明上人と長南年恵師を顕彰する神社が飛騨匠によって建立される。時あたかも、池黒皇大神社と飛騨匠の縁が脚光を浴びつつある。皇大神社には日本最古とも思しき棟札が所蔵されているのだが、そこに記された「木刻師 韓志和」なる人物が、伝説的飛騨匠として飛騨高山に銅像碑まである人物であることの指摘がごく最近なされたのだ(清野春樹著『山形歴史探訪4 平清水・宮内・赤湯・上郷・長井の秘密』)。さかのぼれば6年前、白鷹山山頂に鷹山公の「伝国の辞」碑が建立された。龍のツボを刺戟することになったのか、その縁でケネディ駐日大使の米沢訪問が実現、さらに南陽市とバルバドスとの深い交流も行われるようになった。どうも白鷹山塊龍の動きが最近際立つ。そこから発する気はまず宮内を覆い、そして置賜全体に広がりつつある様相だ。「目醒めよ!置賜の地霊たち――21世紀は置賜から」を言い出した当事者として、今後の方向の如何を展望してみることにする。 ・
講演会のパンフレットに「『世界の置賜』たらんとする根拠と徳田虎雄氏講演会の意味」と題した文章を載せた。その中にこうある。
《徳田流生き方の基本にあるのは、「おのれの実力の100倍の目標設定」です。そしてその目標の実現を本気で思い込むことです。本気で思い込むことのできたことは、例外なく必ず実現します。置賜を世界の中心にすること。これはいまの置賜人にとっては「実力の100倍の目標設定」です。25万置賜人のうち何人でもいい、この実現を本気で思い込むのです。必ずそうなります。この土地にはその潜在的可能性が十分あるのです。ただし、それは20世紀的感覚とは全くちがった、まだ私たちの中でようやく意識の先端に顔を出しつつある21世紀的感覚によって、はじめて見つけることのできる可能性のはずです。置賜は、この21世紀的感覚によって世界の中心になるのです。》
その「21世紀的感覚」とは何か。それがまだ薄ぼんやりとではあるが、確実に見えてきつつあるのを感じるのだ。
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小田仁二郎(1910-1979)を高く評価した人に井筒俊彦(1914-1993)という大学者がいる。司馬遼太郎は30数言語を自由に使いこなす井筒を「二十人ぐらいの天才が一人になっている」と評したが、「大」学者の大学者たるゆえんは、世界中の言語を駆使してあらゆる宗教の深奥まで踏み込んだ上で、東西宗教相互理解の可能性を構想したことだった。実は、この井筒俊彦が当代の文学者として最も高く評価したのがほかならぬ小田仁二郎だった。寂聴さんの文章がある。《(1956年頃、小田と一緒のとき)私の下宿に突然未知の女性が訪れた。上品な物静かな人は井筒豊子と名乗り、「Z」の同人になりたいと言う。華奢で消え入りそうな風情なのに、言葉ははきはきして、相手の目を真直見て、「主人の井筒俊彦が、小田さんの『觸手』を拝見して、私に小説の御指導をしていただけと申します。」と言葉をつづける。めったにものに動じない無表情な小田仁二郎が驚愕したように背筋を正し、「井筒俊彦さん・・・・・あの言語学の天才の・・・・・」豊子さんはそれを承認した微笑をたたえて、わずかに顎をひいた。その時から私たちと井筒夫妻との有縁の時間が始った。》(井筒俊彦全集第4巻月報)
私のおおざっぱなレベルで、井筒と小田の共通点を見てみることにします。
井筒は、日常的なレベルとは別の宗教的境地(神秘主義的境地=三昧・コンテンプラチオ)まで深く降りていって(高く昇っていって)、そこから世界を捉えようとします。それは「自我の消滅」があってはじめて可能な境地です。《自我意識の消滅、これこそコンテンプラチオ実現の第一条件であります。自我の意識、経験的実存の中心点としての自分という主体の意識、それがきれいさっぱり拭い去られなければコンテンプラチオという状態は絶対に実現しません。》(『イスラーム哲学の原像』30p)
一方小田については、戦後日本の代表的評論家福田恆存が、小田の代表作『触手』の巻末に詳細な解説を付しました。宮内が主な舞台の「にせあぽりあ」と代表作「触手」が収まった『触手』、それを読んで感動した福田が、あまりに先鋭的に過ぎて一般には理解されないだろう、ということで書いた解説です。《近代人の感覚は既成概念や意識の歪曲にあって、すっかり摩滅し、死にはてて居る。小田仁二郎はいま、なんら既成概念も先入観もなくはじめてこの世界にはいってきて、感覚以外のなにものも隔てずにぢかに現実に接触する嬰児の、あの原初的な一人称を回復せんと企てるのだ。》 近代は自我が際限なく肥大化する時代でした。それは資本主義の精神と表裏一体です。自我は強欲です。しかも常に他と比較して止みません。そうして自我は「事実」を見る目を曇らせます。真実を追求する時、それにつきまとう「自我」をどう始末するか、日本の現代文学者の多くが悩みました。芥川も太宰も三島もそのあげく自ら命を絶ちました。三人はそれぞれの「名声」ゆえに自我のくびきから逃れることができなかったように思えます。それに対して小田は、「宮内魂」(!)の赴くところ、「名声」なんかはきっぱり二の次三の次にして、ひたすら自分の感覚を掘り下げました。その結果の「リアリティ」です。「触手」に先立つ「にせあぽりや」(アポリア=難問)、この作品名には「偉そうに難問ぶってるけど、そんなのはみんなニセモノだ。ホンモノがどこにあるか、おれが見せてやる!」という気合が込もっています。そうして世に問うたのが「触手」という、福田恆存を心底驚かせた作品だったのです。
井筒俊彦と小田仁二郎、二人は「自我の果て」に「ほんとうのほんとう」(宮沢賢治)を見出そうとする姿勢において共通でした。しかもその姿勢には、しっかり実践、実体験に裏付けられていました。頭で考えただけではなかったのです。だからこそ二人の間には信頼が生まれたのだと思います。寂聴さんが小田と一緒に招かれたとき、パソコンの原型のような新しい機械が届いたばかりの時でした《(井筒)先生はその場で小田仁二郎と機械の上に頭を寄せあって、指でキイを押えながら試していた。人嫌いの二人の男が体を寄せて、子供が新しい玩具に熱中しているような風情を見て、豊子さんがす早くカメラに収めてくれた。》(井筒俊彦全集第4巻月報) 徳田講演会に際して「私たちの中でようやく意識の先端に顔を出しつつある21世紀的感覚」と言ったのは、小田仁二郎と井筒俊彦を結びつけた感覚のような気がします。
資本主義は内在的に「過剰・飽満・過多」を求めて止みません。「強欲文化」を産み出しました。何もかも「ゼニカネ」で評価されます。うっかりすると「借金地獄」も待っています。意識の基準をどこに置くか。20世紀的ゼニカネ感覚から意識をずらしてみるのです。そしてもっと深いところ(高いところ)に焦点を当てれば、「ほんとうのほんとう」の世界がみえてくる、それが「21世紀的感覚」、それを置賜がリードします。その結果として「21世紀、置賜は世界の中心となる!」のです。
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【追記 2.1.31】
ここまで書いてアップした後、いい文章に出会いました。今朝、急いで記事にしました。