今年の熊野大社への初詣、例年にない人出だった。それも若い人が圧倒的に多い。先日、本屋で『人生を切り開く!成功神社』をめくっていたら、熊野大社がなんと「恋愛が成就する神社ランキング」の第3位にランクインしていて驚いた。発行日が昨年の1月1日だから、こういう雑誌の影響も大きいに違いない。2年前の「ゆく年くる年」登場も画期的なことだった。


 1月28日のこと、宮内公民館での「宮内から市民の新しい拠点をつくろう会」の議論を見ながら「これだ!」と思った。この会は、宮内公民館改築問題に取り組もうと一昨年から会合を重ねてきた。チラシで参加を募ったりして、昨日は20人ほど集まって、これまで出された「どういうものをつくりたいか」案をカードにしてそれを分類してみるという議論(KJ法)だった。ワンコ、ワンコになっていた。その様子の中に居て、目指すべき新しい拠点とは、こういう場面が日常的に展開される場なのではないか、と思った。いろんな問題、いろんなテーマを、地域のいろんな人同士で自由闊達に語り合う、そこから問題が解決し、また未来への展望も拓けてくる。ひとりでは考えられないコミュニケーション、そこから豊かな交流がつぎつぎ生まれてくる。そんな場があったらサイコー、そう思えたのだった。

 若い人は議論をしなくなっているという。SNSがあるのでわざわざ集まって語り合う必要もなくなっているのかもしれない。いろんな情報が飛び交いはするけれども、みんなそこで足りた気分になっている。ほんとうは顔を突き合わせてはじめてわかること、見えてくることがあるんだけれども、なかなかそこまでいきにくい。その結果、共通の場で議論すべき問題が見えなくなってしまっている。でもその日は「新しい拠点をどうするか」でみんなが議論に参加する場ができていた。議論の流れを聴きながら口を挟んだ。

 「このことを言うと、”また高岡のバカが始まった”と言われるんでめったに言わないんだけれども、ちょっと言わせて。」と始めた。「今から30年ぐらい前のこと、ある人の声がけでできた『置賜獅子の会』というのがあった。その人がわれわれにいつも言うのは”人生には実力の100倍の目標を!”ということだった。その人自身自らそうしてそれを実現してきた人だった。平成3年(1991)にその人が宮内で講演してくれる事になった。そこでこの機会にわれわれにとっての”100倍目標”を立てよう、ということになって議論した。そうして出てきたのが ”21世紀、置賜は世界の中心になる!” だった。このことはいつも私の気持ちのいちばん根っこにある。宮内の歴史を取り上げるにも、単なる”郷土の歴史”ではなく、日本全体、世界全体との関わりで地元の歴史を見るようにしている。今の議論の流れもいい方向になってきたので言わせてもらっているのだけれども、”どこそこがこうだからこうしよう”の発想でなく、”つくる以上は世界一”、そういう気概をもっての議論だとたのもしい。」

 平成3年の講演会とは、誕生したばかりの南陽高校の体育館を会場に開催した「徳田虎雄先生講演会」だった。そのテーマを「目醒めよ!置賜の地霊たち――21世紀は置賜から」とした。あれからちょうど30年が経った。