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井筒俊彦がストンとわかった! [日記、雑感]

八戸のマタタビさんが、見事にいい記事を紹介してくれた。井筒俊彦のいちばん大事なところがストンと肚に納まった。まさに「21世紀的感覚」がこれなんだ!と思った。八戸のマタタビさん、ありがとう!
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250:八戸のマタタビ :2020/01/31 (Fri) 00:28:37
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 P.S 亀さんが絶賛していた柏久「李登輝の偉業と西田哲学」を今日から読み始めました。あとJINMOさんのツイートでリンクされていた稲盛和夫の講演録
 https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19nv/00124/00016/?P=3&mds&yclid=YJAD.1579658027.X5oHM8Kdcq0Xa.Ta4wGulCBFCKjW7PHp4kLJ27mxo_2Ya7bzVan5XVxnqEn3PhvSSeu0OvbUCcy8Dos-
に井筒俊彦の名が突然出て来てこれは読まなければいけないのだろうなと感じています。
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稲盛和夫氏は、自ら創業し数十億円の利益をあげるまでになっていた京セラ上場に際し、当然得るはずの数億円のキャピタルゲインを得ない道を選択した。持株はただの一株も市場に出さなかったのだ。大金を得ることで、自分が変わってしまうことを稲盛氏は極度に恐れたのだという。その決断のきっかけとなったのが、井筒俊彦思想について知ったことだった。以下、「オレがオレが」が経営者の晩節を汚すー稲盛氏が伝説の東証講演で語った哲学、(1)〜(4)のうち、井筒俊彦についての(3)
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「オレがオレが」が経営者の晩節を汚す
稲盛氏が伝説の東証講演で語った哲学
日経トップリーダー
2019年5月16日

◇あんた、花してはりまんの?
 イスラム文化の研究者で、哲学者、思想家でもあった井筒俊彦氏の本を、心理学者で文化庁長官も務めた河合隼雄氏が読んで、そのことを本に書いた。その本を岸田(今日子)氏が読み、感想を新聞に寄稿したのだった。
 稲盛氏はこう話す。
 「井筒さんはヨガの瞑想をしていたそうです。その井筒さんがおっしゃるのには、瞑想をすると、自分が『ただ存在しているとしか言いようのないもの』で成り立っていると感じる。同時に、周囲にある森羅万象すべても『存在としか言いようのないもの』で出来上がっていると感じられる意識状態になるという。
 『人は〝花がここに存在する〟と表現するが、〝存在というものが花をしている〟と表現してもおかしくないのではないか』。井筒さんは本にそう書いたそうです。
 この井筒さんの本を河合さんが読み、著書の中で『あんた、花してはりまんの? わて、河合してまんね』と表現した。これを岸田さんが読み、何と素晴らしいことかと感じたという話が、そのコラムに書いてありました」
 「あんた、花してはりまんの? わて、河合してまんね」というのは、何ともほのぼのとした言葉でありながら、哲学的な示唆に富む。稲盛氏は岸田氏同様、この話に大きな衝撃を受けたという。
 ここからが、東証講演の肝である。
 「私は一生懸命に頑張って会社を立派にし、数十億円の利益が出るようになった。そのとき、これはオレがやったんだ、オレの才能で、オレの技術で、オレが寝食を忘れて頑張ってきたのに、そのオレの給料が300万円しかないとは、割が合わんではないか、『オレが、オレが』と思った。
 私はシリコントランジスタの入れ物を作り、超LSIの発展と共にセラミックのパッケージを供給しました。半導体の勃興期、私は大変な貢献をしたと思っています。そして、そういう才能をオレが持っていたから京セラが上場し、大変な利益を上げるようになったのだと考えていました。
 しかし、岸田さんのコラムを読んだときから、こう思うようになりました。
 『半導体が勃興していくには、ある人間が必要だった。たまたまそれが「稲盛和夫」であっただけで、ほかの存在が「稲盛和夫」と同じ才能を持っていれば、その人が代行していてもよかったはずだ。 私が一介のサラリーマンであってもおかしくはない』
 つまり我々が生きている社会は、壮大なドラマだと思うのです。劇場です。その劇場で、たまたま私は京セラという会社をつくる役割を担い、京セラという会社の社長を演じることになった。ただし、それは『稲盛和夫』である必要はなく、そういう役割を演じられる人がいればよい。たまたま、私であっただけなのです。

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