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「21世紀的感覚」 [日記、雑感]

昨日、NHKのアサイチ、「子どものおしゃれ」をやっていた。一緒に見ていた出産間近で帰っている長女が、同じ職場で聞いた、小学5年生の娘をモデルに仕立て上げるための涙ぐましいばかりの苦労を語った。それを聞いて、「自足できない自我」の末路を思った。そんなことも頭にあって、昨日の記事になった。

このところmespesadoさんが鳴りを潜めておられるが、1ヶ月前の問題意識をもって重大テーマに取り組んでおられるのかという気がしている。

①mespesadoさん講義(10)「将来への不安」にどう対処するかhttps://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2019-12-27
②mespesadoさん講義(11) 「人類の心の闇」問題
https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2019-12-30

①mespesadoさんがスピリチュアルへ関心を向ける理由。人類の「将来に不安を感じる」という本能があることを素直に認め、かつこの根本的な本能をどう手なづけるかという、結局は精神世界の問題をどうにかしない限り、「反緊縮」のような経済政策だけでは現代の我々を救うことは無理ないんじゃないか》

とても読みきれてはいない井筒俊彦『意識と本質』の後記に、《現代に生きる日本人が、東洋哲学的主題を取り上げて、それを現代的意識の地平において考究しさえすれば、もうそれだけで既に東西思想の出逢いが実存的体験の場で生起し、東西的視点の交錯、つまりは一種の東西比較哲学がひとりでに成立してしまうのだ。》とあり、探求の先にある真実を追い求めている》という飯山女史の言葉も重なって、mespesado理論がこれからどう展開するのかを思わされました。井筒俊彦が「学問的探求」レベルで見据えていた視野が、今生きるだれにでも視えるように開けてくるかもしれない、という期待があります。

このことに沿って、私なりにこの1ヶ月間ずっと思い続けてきた。あと一息だが、井筒著『イスラーム哲学の原像』をゾクゾクしながら読んでいる。昨日の記事で、小田仁二郎とリンクした。井筒と仁二郎がどこでどうつながるのかは、いつかぜひとも解かねばならないテーマだった。それが、「動き出した宮内の地霊」→「21世紀的感覚」→「自我からの解放」→「井筒&小田 共通感覚」となって、うれしくなって酒飲んで「まあいいか」とアップした。実はここからもうひとつ踏み込んで書かねばならないことがあるのだが、とりあえずラジオ体操の時間なのでここまで。

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