2020年01月03日 - イハトビラキ mespesadoさんの昨年最後の投稿です。いずれBI(ベーシックインカム)は必然の流れと思えます。ただ「強欲資本主義」下においての実施ではその主旨が歪められかねない。そうならないためには、《庶民の間に蔓延する「誤った倫理観」に我々自身が「気づく」必要がある》のです。《令和の時代にどこまで人類が変われるか。》最近のmesさんの議論には、新たな展開の方向性が感じられます。まさに「イハトビラキ」です。ものすごく楽しみです。私も私の持ち場でがんばります。* * * * * 144:mespesado :2019/12/31 (Tue) 10:05:25「うずらのブログ」の最新エントリー↓https://ameblo.jp/kobuta1205/entry-12561205643.html一年の最後に初心を忘れたネオリベ転向生を叱る ↑の中で、BIについて言及されていました↓> 筆者は従前から国民一人当たり月3~4万円の生活向上給付金をベーシッ> クインカムとしてバラまくよう主張している。>> これは、生活費支出で最も負担の大きい住宅費の負担軽減を見越したも> ので、年間45~60兆円の支出増となる。>> これでも現状の一般会計予算(国債費を除くと78兆円ほど)に比べて大き> な支出となるが、筆者は、この程度の支出なら別段おかしな金額とは思> わない。>> 1985年ころの予算規模は42兆円ほど(国債費除く)で、我が国の財政規模> を年率3%程度の経済成長に合わせて拡大させていたとしたら、いまごろ> 予算規模は115兆円くらいに増えていたはずで、現実の予算規模との差異> は37兆円ほど。>> 筆者の提案する生活向上給付金の実施規模はこれより大きくはなるが、> 本来数十年前から拡大すべきだった予算を無理やり抑制してきたツケだ> と思えば、この先、40~60兆円くらい余計に支出しても不思議ではなかろ> う。>> どうしても、一般会計予算の急拡大が気に食わないのなら、無利子国債> や貨幣製造を財源とする特別会計(国民生活向上給付金特別基金)でも設> けて対応すればよいだけの話だ。 BIの財源問題は、ここでも述べられているように何も問題にすることはない。しかしここで取り上げられているようなネオリベの見地からの反対論ではなく、前にも書いたことがありますが、三橋さんのような全く異なる観点からのBI批判があるので、うずらのブログさんがそれに対してどのような見解を持っているのか知りたくて、同ブログで初めてコメント欄に書き込みをしました↓> ここで取り上げられたようなBI反対論は論外ですが、しかし別の観点で、> 三橋さんも言っているような「BIなど給付しようものなら経団連みたい> な強欲な財界は必ずや『BIがあるから生活できるだろう』とか言ってBI> 支給分だけ給料を下げるに決まってる」という問題も同時に解決する必> 要があると思います。この問題は法律でそのような行為を禁止すること> も必要でしょうが、そうすると企業は「いやあ、BIで従業員の生活が保> 障されるなら、その分俺たちに回せって株主から増配の要請が強まっち> ゃってね~」とか言って給料引き下げを株主からの圧力によって正当化> されそうな気がします。こんなバカな負の連鎖を防ぐいい知恵は無いも> のでしょうかね。>> mespesado2019-12-31 09:47:44 これに対する回答の書き込みがあったらまた取り上げたいと思います。145:mespesado :2019/12/31 (Tue) 12:09:27>>144 早速ブログ管理人から返事がありました↓> >mespesadoさん>> ご指摘のような懸念はありますよね。> これは法律で規制するとともに、今の下請保護制度の徹底に向けた専門> の監視員制度のような監督と罰則制度の整備が必要です。>> 何よりも国民全体の目で、強欲な連中を監視せねばなりません。>> うずら2019-12-31 11:42:55 そうなんですよね。 「『神の見えざる手』に任せておればうまく行く」なんてのは、高度成長期のような、技術が発展途上で生産力が増強している真っただ中で、しかも流通が発達していないおかげでローカルな値上げが可能だったりした時代の特殊性のおかげに過ぎなかったんですよね。 だから、共産主義体制だの絶対神による宗教に支配されるのではなくて、この現代の先進国のような窮屈さの無い自由主義経済を守ろうとするなら、人工的にいろんな縛りを設けて「人間の本能に基づく強欲」が暴走するのを防ぐしかない。しかし、今までの新自由主義がまかり通る中でそのような方向に舵を切るためには、庶民の間に蔓延する「誤った倫理観」に我々自身が「気づく」必要がある。現在は、そういう事実に気付いたほんとに一握りの人間たちが現れた、というスタート地点に過ぎない。 これから令和の時代にどこまで人類が変われるか、そんなことを期待して新年を迎えたいと思います。それではみなさん、よいお年を。