静かな「子どもの日」だった。双松公園琴平神社のお祭りも御神事のみ。お札と紅白餅が隣組長を通して配られただけ。吉野石膏の須藤永次翁から贈られた神輿を繰り出して盛大な祭りが始まったのが昭和35(1960)年、私が中学2年生の時だった。この時の写真がある。宮内中学校の私の学年、50人近いクラスが6組まであった。先日、昨年まで5年間の南陽市地域別出生者数を調べてもらった。宮内地区の昨年出生数31人。赤湯のほぼ1/3、沖郷のほぼ1/2というのがショックだった。60年前の子供の数は宮内が一番多かったのではないか。今朝の山形新聞の一面に「子どもの数 40年連続減」の見出しで、今年4月1日現在の子供の数が、前年比19万人減の1493万人とあった。ピークだった1954年の2989万人からほぼ半減、昨年の出生数は過去最少だったという。(file:///Users/takaoka/Downloads/sanko2.pdf :令2年1〜10月速報値733,907人/ 平31(令1)1〜10月751,141人=97.72.3%減) 米、20年の出生数4%減 1979年以来の低水準)